「新しい生き方を始めよう」マタイ28章1~10節

あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。  マタイによる福音書28章6節

 

今日はイースター礼拝です。みなさんにゆでたまごをプレゼントしています。このたまごは新しい命の象徴です。隠されていた命が、輝きだすことの象徴として、このたまごを配っています。今日は聖書から、どのようにして私たちに新しい生き方が始まるのかを考えたいと思います。

イエスは確かに十字架で死にました。その死はイエスに従うことで自分の人生を変えたい、そのような自分が変わるチャンスを中途半端に終わらせてしまうものでした。しかし墓で不思議なことが起きます。墓を閉じていた石が動かされ、そこには天使がいました。そして天使は「イエスは復活をした」と教えます。

この話を、幻、幻覚としてしまうには説明がつかない部分も多くあります。二人が同時に幻を見たり、幻を抱きしめることはできません。弟子たちは失ったはずの命が目の前に現れ、触れることができる体験をしたのです。2000年前に実際に何が起こったのか、それを完全に知ることは私たちにはできません。ここで「復活した」と言われていること、それが実際にどんなことだったのかは、それぞれの想像に委ねたいと思います。そこではまるで玉子の中から命が出てくるような、命があるように思えなかったものから命が生まれる不思議な出来事が起きたのです。

キリスト教はこの復活と呼ばれる出来事をきっかけに世界中に広がってゆきました。弟子たちに何かが起きたのです。そして裏切りと無関心を捨て、愛を伝え、十字架に掛かったイエスの生き方に従おうと思ったのです。それはまるでたまごから命が出てくるような出来事です。彼らの中に隠されたものが豊かに用いられたのです。

このことは私たちの今、私たちの生き方とどのような関係があるでしょうか。普通の人間と変わらない弟子たちが、この復活と呼ばれる不思議な出来事を体験した時、大きな人生の方向転換を始めました。私たちにもこのことは起こるのです。私たちはイエスとの出会いによって、生き方を変えることができるということです。復活とよばれる、何か不思議な出来事によって弟子たちは人生を変えられてゆきました。それと同じ様に、みなさんにも不思議な力が働きます。それは言葉では説明しきれない出来事です。神様が働きかけて私たち変化が起るのです。

「こんな自分を変えたい」と思ったことはありませんか?私たちは「変わりたい」と願うけれど、思うように変われないことも多いものです。だからこそ、イエスとの出会いが私たちに必要なのです。自分の力ではなく、神様の力によって変えられる道があると聖書は語っています。もし、変わりたいと心から願っているなら、ぜひイエスに従ってみてください。今ここにいる一人ひとりに、神様は「新しい命」を与えようとしています。あなたも、きっと変わっていけるはずです。あなたに、このたまごのような新しい命が始まるでしょう。お祈りします。