「点と天ー小さな愛の希望ー」マタイ5章17~20節

「はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」 マタイによる福音書5章17~20節

 

今月は「地域活動と福音」をテーマにお話をしています。先日はある方が教会のシェルターを利用しました。たった一晩の宿泊で彼をとり巻いている難しい状況が変わることはないでしょう。でもそれは本人にとっては一筋の光を見たような、天国とも思えるような経験だったのかもしれません。

こひつじ食堂は月2回、炊き出しは月1回、私たちには小さな点の様な支援しかすることができません。でも小さな点のような些細なことでも、誰かにとっては大きな励ましとなることがあります。それは時に、天国のような希望をもたらします。私たちの教会は、そんな「小さな愛の『点』」を大切にする教会です。今日は聖書から小さな点が大きな愛『天』につながっていることを考えてゆきましょう。

イエス様の新しい教えを聞いた人の中には、戒律の様な細かなこと、小さなことはもうやめてしまっていいと考えた人がいました。しかしイエス様は旧約聖書の大切さを伝えました。同時にイエス様はこれまでの戒律をもう一度、愛を基準にしてとらえなおす様に教えました。イエス様は律法の中にある愛に目を注ぎ、律法を愛の視点からもう一度見直し、新しく解釈し直そうとしているのです。

イエス様は、「律法の一点一画も消え去ることはない」と語りました。それは、律法の中にある小さな愛に注目しよう。それを軽んじてはいけないということです。どんなに小さな愛でも、愛は人を大きく支えます。だからこそ、イエス様は古い教えも愛の視点でもう一度見直し、大切にすべきだと訴えたのです。小さな愛を見過ごさず、大切にしよう、それが5章のイエス様の新しい律法解釈でした。

例えば安息日とは、意味もなく、ただ何もしてはならない日ではありません。それは神様に感謝をする日です。シェルターにいるように体を休め、自分としっかりと向き合うための日です。神様に感謝し、家族や仲間との時間との関係を考える日です。これは特に忙しく生きる私たちが失ってしまっている大切な時間でしょう。

この後「〇〇するな」が繰り返されます。「腹を立ててはならない」という律法は、礼拝よりも仲直りする愛を優先させようと解釈しています。

私たちの周りにどんな一点一画の愛があるでしょうか?私たちはその愛にどのように支えらえているでしょうか。私たちの教会自体も小さな点のような教会です。でも私たちは誰かを支え、誰かを愛し、誰かに生きる力を与えている教会です。そしてそれは教会だけではありません。きっとあなたもそうなのです。あなたも点のように小さい存在かもしれません。でもきっと誰かの生きる支えになっています。あなたの小さな愛の行動はきっと誰かを支え、励ましています。

イエス様は小さな一つの点、愛も失われない世界を目指したのです。私たちも小さくても、互いを大切にしあってゆきましょう。きっと私たちの点の様な愛は、神様のおられる天につながっているはずです。お祈りをいたします。