【全文】「神と星に導かれて」マタイ2章1~12節

みなさん、おはようございます。今日もこうして共に礼拝をお献げできること、主に感謝します。2024年の最後の主日礼拝です。今日も私たちはこどもの声がする礼拝を続けましょう。

今年も一年間たくさんの礼拝をささげることができました。みなさんはどんな一年だったでしょうか。教会のことを振り返ると、いろいろな事のあった一年でした。何よりも嬉しいのはバプテスマ式だったでしょう。一番のビックニュースでした。転入会した方も2名おられました。何十年ぶりかに教会に戻ってきた方がおられたり、スペイン語での証しもありました。仲間が増えたことは何より嬉しい事です。

他にもたくさんの出来事がありました。工藤静香のミュージックビデオの撮影や、孤独のグルメのテレビ撮影もありました。大口の寄付やクラウドファンディングの達成というのもありました。こひつじカフェも始まりました。どれも1年前の計画に無かった事で、1年前には予想できないことがたくさん起こった年でした。

1年前の信徒会や、執事会の記録も見直していました。地域協働プロジェクトの申請が理事会に否決されたのは1年前でした。私たちはこの制度を使って土地売却し、発展的な会堂修繕ようとしていました。しかしそれは理事会で否決されてしまいました。私たちは納得できない思いもありながらも、新しい制度作りの過程で繰り返し意見を表明してきました。新しい規約の素案ができていますが、そこには私たちの要望が多く組み込まれています。これも1年前に想像していたこととは大きく違う結果になっています。

今の私たちは1年前に目指した場所とは、かなり違う場所に到着しているような気がします。私たちが神様のために、誰かのために、地域のために立ち上がろうとするとき、今まで決して起こらなかったことが起きたのです。私たちは1年間本当によく頑張りました。自分達をほめてあげたいのですが、でもそれだけではありません。このこと全体が神様の導きだと思います。神様の導きとしか言えないことがたくさん教会で起った1年でした。

予想もしないことがたくさん起き、私たちの旅路は変更を繰り返してばかりです。でもそれは今、希望へとつながっています。教会に起きたこれらの事は偶然ではなく、すべて神様に導かれ起きたのです。

もちろん私たちの旅はまだまだ終わりません。これからが本番です。来年、再来年の計画を作っています。でもきっとまた計画にないことがたくさん起こるでしょう。私たちの計画を超える、神様の導きがあるでしょう。私たちの人生はそのように、計画通りにはゆきません。でもかならず神様が導いてくださるのです。

教会に集う恵みは、このような神様の導きを強く実感できることでしょう。教会に集うと、教会が神様に導かれているという実感をもつことができます。そしてきっと私の人生も導かれていると実感できるでしょう。教会を通じて、共に集う人の人生を通じて、私たちの人生が導かれていると感じることができるでしょう。それは教会に集う人の恵みです。

次の1年も、教会も人生も、思い通りにはならないでしょう。私の予測通り、計画通りにはならないでしょう。それが人生です。

でもその変更こそ、神様の導きかもしれません。神様は必ず私たちを導いてくださるお方です。神様はこれまで私たちを不思議な道に導いてくれたように、来年も私たちを導いてくださいます。そのようなことを強く感じる1年でした。1年間、神様が導いてくださったことを感謝しています。今日も聖書を読みます。聖書の物語から神様の導きを見てゆきましょう。

マタイによる福音書2章1~12節をお読みいただきました。今日の個所では占星術の学者が登場します。彼らはイスラエルの人々にとって脅威でした。占星術の学者といえば東側の大帝国からくる、位の高い人でした。東側の国とはこれまで何度も戦争をしてきました。東の人が来るということは悪いことが起こる前兆です。

そして何より、彼らは星占いといういかがわしい方法によって未来を予測し、未来の計画を決めるという人でした。ユダヤ人から見ると、学者たちは決して尊敬できる人ではありませんでした。恐怖と軽蔑のまなざしを向けるべき人でした。そのような学者たちがある時、ひときわ輝く星を見つけました。これまで星の動きを正確に予測してきた人が、いままでとは全く違う動きと輝きをする新しい星を見つけたのです。学者にとってそれは大きな予想外、大きな計画外の出来事でした。

占星術によれば、その星は新しい王の誕生を示す星でした。学者たちは新しい王が生まれたことを確かめ、拝みに行くために、計画には無かった旅に出ることにしたのです。東の文明から、イスラエルまでの旅は数百キロに及んだはずです。未来を正確に予測する学者たちが、計画にはない長い旅に出発をしました。しかもそれは星の輝きが頼りだったのです。

まず学者たちはヘロデ王を訪ねました。新しい王が誕生するなら王家に誕生するのだろうと予想したからです。2節ヘロデ王に「新しい王はどこにいますか?拝みに来たのです」と尋ねました。しかしそこに新しい王は誕生していませんでした。ようやくイスラエルに着いた彼らは計画を変更しなければいけませんでした。今度はエルサレムの人々に聞いて回ったのでしょうか。首都エルサレムの人々なら何か知っているはずだと予測したのでしょう。しかしエルサレムの人々は不安がるばかりで、何も知らなかったのです。

学者たちは、ヘロデ王から新しい王はベツレヘムで生まれるということを聞きました。ベツレヘムは決して大きな町ではありませんでした。再度、学者たちは計画を変更し、ベツレヘムへ向かいました。しかし今度は家がたくさんあり、どこの家に新しい王が生まれたのか、見分けがつきませんでした。予測ができませんでした。しかしそこでもまた星の光が導きました。星の光は学者たちをイエス様の生まれた家の前まで導き、止まったのです。占星術の学者たちは、そこでようやくイエス様に出会うことができました。旅の出発をしてからイエス様に出会うまでに学者たちの計画と予想は一体何度、覆され、変更されたでしょうか。もう数えることができません。その度ごとに行き先が変わってゆきました。

しかしそのような変更は神様の導きによって起こされたものでした。新しい王、イエス・キリストに出会うことができたのは、まさに神様の導きだったのです。神様は何度も何度も、学者たちの計画を変更させ、学者たちをイエス様の元に導いたのです。彼らは神様の導きによって、何度も計画を変更し、ようやくイエス様に出会うことができたのです。

学者たちはイエス様に3つのプレゼントを渡しました。これでようやく自分の家に帰ることができそうです。ほっとしたでしょうか。しかしこの旅は最後まで神様の導きによって、計画が変更されます。当初の計画はヘロデに会って新しい王について報告をしてから帰る計画でしたが、夢のお告げに従って、ヘロデに会わずに別の道を通って帰ることにしたのです。このように学者たちは繰り返し計画を変えられ、自分たちの予測とまったく違う旅をしたのでした。それは星によって導かれた旅、神様によって導かれた旅だったのです。

さらにこの物語には、もう一つの予想外が隠されています。イエス様を見つけたのは、東の大帝国からくる、いかがわしい占星術師だったということです。新しい王はイエスラエルの王様が見つけたのではありませんでした。新しい王は救い主を求め続けたイスラエルの人々が見つけたのでもありませんでした。予想もつかない人が、信じる宗教さえ違う人が、新しい王イエス様を見つけたのです。これはイスラエルの人々にとってもまったく予想外のことでした。神様の導きとはこのようなものでした。徹底的に人々の計画通り、予想通りにはいかなかったのです。神様の計画に振り回された学者たちもかわいそうです。

この物語は私たちの人生にも当てはまるでしょうか。私たちの1年もこのようなものだったのでしょう。私たちは計画を立てましたが、計画通り、予想通りにはいかなかったことがたくさん起こりました。それは神様が私たちを導き、何度も計画の変更を迫った結果だったのでしょう。

私たちの1年も、振り返ると様々なことが起きた1年でした。それぞれ全く計画外で、予想外でした。しかしそれは確かに神様の導きだったと思います。私たちの1年は何度も計画が変更される占星術の学者の旅のようでした。でもそのような1年だったからこそ、なおさら私たちは神様の導きを強く感じることができた1年となったでしょう。

さて次の1年がはじまります。次の1年私たちはどんな星を見つけ、どんな旅に出るのでしょうか?どんな出来事が待っているのでしょうか?心がくじけるような変更もあるかもしれません。しかし確かなことは、私たちは神様の大きな導きの中に生きているということです。私たちは今年神様の大きな導きの中で1年を過ごしました。教会もひとりひとりもそのように神様に導かれた1年でした。

次の1年もきっとそうでしょう。予想ができないことは不安な事でもありますが、私たちにはまた様々なことが起こるでしょう。私たちに自分たちの計画や予測を超えて、また明るく輝く星が示されるでしょう。共にそれを目指して、旅路を出発しましょう。次の1年も旅の計画は何度も変更されます。私たちは占星術の学者のように何度も旅路を変更し、紆余曲折するでしょう。でもそれこそが神様の導きなのです。私たちはこの1年の神様の導きに感謝し、来年も神様の導きを共に歩んでゆきましょう。お祈りをいたします。