「背中で語る福音」マタイ11章2~19節

イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。

マタイによる福音書11章4節

 

クリスマスは、キリスト教や教会が最も注目を集める季節です。キリスト教のことはネットで検索してもわかりません。キリスト教を知るには日常生活の中でクリスチャンと出会うことがもっとも重要です。キリスト教のことを知らない人にとって、本物のクリスチャンである皆さんとの出会いはとても貴重な体験です。

私たちは他の人と少しだけ、大きく違うことがあります。それは愛し合おうとするということです。私たちが他者を愛するという姿勢が、私たちの背中から伝わり、キリスト教が、福音が伝わっていったら嬉しいと思っています。今日はイエス様に従った人々から、どのように人々に福音が広がってゆくのかを見てゆきます。

イエス様に従った人々は、傷つき、弱さを抱えた人々でした。イエス様はその人々と共に過ごすことで、励ましと希望を与えていました。そこにヨハネの弟子たちが来て「来るべき方は、あなたですか?」と聞きました。それに対してイエス様は「見聞きしていることを伝えなさい」と返事をしました。イエス様は言葉であれこれ説明をしようとしませんでした。「あなたの見たままが答えですよ」と言ったのです。それは自分でその人と出会って確かめるようにという意味です。

果たしてイエス様は弟子たちの何を見せようとしたのでしょうか。きっとイエス様は癒された人々のその後の姿、生き方、背中を見るようにと言ったのだと思います。人々はイエス様に愛され、受け入れられてゆきました。やがて癒された人々は今度はイエス様の様に他者を愛し、受け入れ合おうとしたはずです。イエス様の群れは仲間を愛し合う共同体となってゆきました。イエス様はヨハネの弟子たちに、それを「見よ」言ったのではないでしょうか。イエス様はヨハネの弟子たちに対して、自分が救い主かどうかは、このように人々が互いに愛し合っている様子を見ればわかると言ったのです。これは面白い答えです。

今の私たちに重ねたらどうなるでしょうか?イエス様はキリストが本物かは、出会ったクリスチャンの生き様で示されると言うでしょう。私たちはイエス様に癒され、励まされて終わりではないのです。人々と出会い、愛し合う姿を見せる、それがイエス様を本物だと証しすることになるのです。行動で示し、背中で語る、それが福音を伝えることになるのです。

私たちはどう生きるかを考えます。私たちは神様を信じない人と同じ様に苦しみを生きています。でも私たちは、互いを愛し合うこと、大切にしあうことにおいて他の人と少しだけ違う生き方をします。神様はそのように私たちが葛藤する姿、愛し合う姿を通じて、福音を広げるお方です。

クリスマスは多くの人がキリスト教への関心、クリスチャンへの関心を向ける時期です。私たちはただ愛し合うという姿によって、キリストが救い主であることをそれぞれの場所で証ししてゆきましょう。お祈りします。