【全文】「近すぎるくらい近い神」マタイ13章53~58節

みなさん、おはようございます。今日も共に礼拝できること主に感謝します。2本目のろうそくに明かりをともし、クリスマスまでの日付を数えています。私たちはこどもの声がする礼拝を続けています。今日もこどもたちの声を聞きながら、一緒に礼拝をしましょう。

もうすぐ平塚に引っ越してきて7年になります。私は一か所に長く住んだ経験があまりありません。人生で10回以上の引っ越しを経験しました。これまで深い近所付き合いというものにあまり経験がありませんでしたが、平塚では近所の方との交流を楽しんでいます。平塚市の人口は約20万人で、ここ豊原町の人口は約1000人ほどだそうです。7年ですが、住んでいるといろいろな人に関わる機会があります。今年は町内会の組長が回ってきました。なんとなく地域の人の顔がわかるようになってきました。

小さな町内会です。いろいろな人間関係や問題がありながらも、うまくやっているようです。豊原町はまだ地域の触れ合いが残る良い町だと思っています。このくらいの人数がなんとなく顔が分かってちょうどよいものです。小さい頃から平塚・豊原町で育った人々は、あそこの家はこうだとか、どこそこの人はこうだと、驚くほど地域の人ことをよく知っています。それは長年の交流が積み重ねなのでしょう。この町が人と人との距離感がとても近く、温かい場所であることを実感します。

 

 

 

やはりなんでも聖書の時代と重ね合わせてしまいます。当時のパレスチナの人口は50万~100万人くらいのだったのではと言われます。ガリラヤにも数万人規模の人口の都市がいくつか存在したようです。考古学的な発掘によればガリラヤのカファルナウムは人口1500~2000人、ナザレは500人以下の村だったと推測されています。ナザレは町内会ほどの小さな村だったのです。多くの村では中央に広場があり、その周辺を家が取り巻くかたちで集落を形成しました。広場は公共の空間で村人たちの話し合いやお祭の場所になりました。家は集合住宅で、数家族が住む長屋のような家が多くあったそうです。中庭もあり、そこは家族や隣人との交流場所で、共用のかまどや水槽などが置かれていました。当時の人々の暮らしを思い浮かべて、想像をします。

イエス様はこのナザレでどのように暮らし、育ったのでしょうか。ナザレの人々にとってイエス様はごく普通の人だったようです。55節には「この人は大工の息子ではないか」とあります。ナザレの人は聖書で伝えられている神秘的なクリスマス物語について、何も知らないようです。イエス様は普通の男の子、小さい村の近所のこどものひとりだったのです。イエス様はナザレという500人以下の町で集合住宅に住む、長屋の子どもでした。今の私たちから見ると家族の様な交流のある共同生活の中に生きていたはずです。ナザレの人々は、自分たちの村、まるで小さな町内会のようなコミュニティから、世界を救う宗教指導者が生まれることを想像できなかったのでしょう。

ナザレのあるガリラヤ地方は、豊かな穀倉地帯でした。農村地域だったのです。聖書にはペテロの言葉が「ガリラヤなまりだ」と言われる場面があります。エルサレムなどの都会に住む人にとってガリラヤはそのような小さな田舎町、とるに足らない町でした。異邦人のガリラヤという言葉もあります。異邦人との交流が多かったガリラヤからは、良いものは出ないと言われていました。旧約聖書にはいろいろな町の名前が無数に登場しますが、ナザレという町の名前は一度も登場しません。そのような歴史に登場しない町、小さな町の、共同住宅に住む、普通の男の子が、ある日預言者として、様々なことを教えだしたのです。奇跡を起こし始めたのです。

ナザレの住民の反応は容易に想像できるでしょう。いつもイエス様が駆け回っていたナザレ村の広場に、大人になったイエス様の姿があります。それは昔から変わらない光景です。「あそこにいるのはマリアの子イエスだろ。知っているよ」。イエス様はそのような距離感で一緒に暮らした人々に現れました。だから57節にもあるように「人々はイエスにつまずいた」のです。受け入れられなかったのです。それはそうです。それは信じられないでしょう。なぜなら距離感が近すぎるからです。憧れの町エルサレムで生まれた救い主なら信じたかもしれません。しかし、まさか小さな自分の住んでいる、誰からも見向きをされない小さな村から、預言者・救い主が登場するとは信じることが出来ませんでした。しかももともとよく知っている、自分たちと一緒に過ごしていたこども・イエスが救い主だなんて、とても信じられなかったのです、人々は奇跡が起きようとも、教えが素晴らしかろうとも信じなかったのです。だってそれがイエスだったからです。彼らにとってイエス様は距離感が近すぎたのです。

ナザレでは特に強くこのような反応がありました。しかしこれはナザレだけでおきた反応ではありません。この反応は他の地域での先取りとして起きています。イエス様はどこに行っても、あのガリラヤから?あのナザレから?ナザレってどこ?と言われたはずです。何百年も待った人が、ガリラヤからナザレから生まれるはずはない、今この時、自分の目の前に居るわけがない。見た目とか意外と普通なのね。みなそう思ったでしょう。何百年も待った救い主が、自分の前に居る、それぞれの救い主イメージとはかけ離れていました。ただ普通の人間が目の前に、近くにいただけだったのです。その距離感は近すぎました。きっと私たちがそこにいてもそう思ったのでしょう。

もしかして私たちがそこに居たら「あなたが救い主のはずがない」と他の人々と共に怒ったかもしれません。そんなうそつきは十字架に掛けろと一緒に叫んだかもしれません。イエス様の十字架には侮辱する看板が立てられたと言われています。それは「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」という看板でした。その看板はナザレからユダヤ人の王が出るはずがないという侮辱だったのです。しかし、多くの人が復活の後、イエス・キリストは救い主であったということを認めるようになりました。

さらに復活のその後まで見通すと、イエス様は復活の後、ガリラヤに行くと言います。やはりまたガリラヤなのです。それは、神様が私たちの日常の中、見過ごされがちな場所にこそ現れるというメッセージの表れではないでしょうか。人々が魅力を感じる中央ではなく、人々が見過ごしている場所、ガリラヤでまた会おうと言います。イエス様は再びガリラヤを選んだのです。

この物語は、私たちにとって神様とはどのような方なのかを示唆しています。それはつまり、神様とは私たちにとって近すぎるくらい、近いお方であるということです。今ではない、ここではない、この人ではない、そう思う場所に、神様は現れるのです。それが神様の在り方なのです。クリスマス物語で私たちは知っています。神様と等しいお方、イエス・キリストは人知れずに馬小屋で生まれ、他の人と同じ様にナザレで育ち、地域の中で育ったのです。そしてその後、待ち望んだ救い主とは、そのように私たちに近いあり方ではないと十字架に掛けられたのです。しかしそれが本当の神様の在り方でした。ガリラヤの人はあまりにも近すぎる神、自分のイメージと違う神に人々は困惑しました。それが2000年前に起きたことでした。

この物語を私たちの物語として聞きましょう。神様とは私たちの近くにいる存在です。それは近すぎるほどに近くにいる存在なのです。まだ私には神様なんて来ない、こんな私に神様なんて来ない、そう思っている方は注意が必要です。そう思う人の心に神様はもうすでに近すぎるほどに来ているのです。今ではない、まだ私には神が来ていないと思う方も、注意が必要です。もうそこにすでに神様は近すぎるほどに来ています。イエス・キリストを、これは私の思う神の姿ではないと思う方にも注意が必要です。神様はそのようにして十字架に掛かったお方なのです。十字架の姿であなたの近くにすでにおられます。

神様はこのように私たちのイメージを超える場所と、時間に現れるお方です。そしてそれは輝かしい姿ではないのでしょう。その距離感も私たちの心に近すぎるくらい近くにすでにいるのです。ここではない、今ではない、私ではないと思う場所にこそ、神様は現れるのです。

私たちはアドベントの2週目を迎えています。神の一人子イエスは、この地上の貧しいガリラヤのナザレで生まれ、育ちました。ごく普通のこどもとして育ちました。神の子であるにも関わらず、そのようなあり方選びました。それは神様は私たちのすぐそばに、近くにおられるという象徴となっています。イエス様は私の心に近すぎるくらい、近くにいるのです。私たちの神様はそのようにして、私たちと共にいて下さり、私たちを導いてくれるのです。

クリスマスをそのことを感じながら迎えてゆきましょう。私たちのすぐ近くに神様がいます。私たちのすぐ近くに神様の愛があります。それを私たちの普段の生活の中で感じ取ることができるでしょうか。私たちの生活の中で神様が近くにおられることを探してゆきましょう。私たちは見過ごされがちな場所に、隅に追いやられた場所に、寂しいと思う場所にきっと神様がいる、その存在を見つけることができるはずです。アドベントが近づいてきています。神様の愛は、私たちに近づいてきています。神様はいつも近すぎるくらい、私たちの近くに居て下さるお方です、そのことを忘れずにアドベントを過ごしましょう。お祈りをいたします。