みなさん、おはようございます。今日も共に礼拝をできること主に感謝します。私たちはこどもの声がする教会です。今日も一緒にこどもたちの声を聞きながら礼拝をしましょう。先月と今月は地域活動と福音というテーマで聖書を読んでゆきます。私たちの教会では月2回のこども食堂をしています。経済的に困っているこどもだけではなく、子育てに追われる保護者や、寂しい思いをしている高齢者、誰かと会いたい人、そんな人が集って、みんなで食事をしています。
こども食堂をしていると、様々な団体から寄付や調査の依頼やお知らせが届きます。先日は「NPO法人アトピッコ地球の子ネットワーク」という団体から手紙をもらいました。私も初めてこのような団体の存在を知ったのですが「NPO法人アトピッコ地球の子ネットワーク」はアトピー・アレルギーを持つ人とその家族を支援する団体だそうです。手紙にはその団体からの切実な要望が記されていました。それはこども食堂にも食物アレルギーへの配慮を求める内容でした。こども食堂が必要なこども、こども食堂に行きたいこどもの中には、アレルギーを持つ子供もがいます。しかし多くのこども食堂ではアレルギー対応が不十分です。ある食堂の看板には「アレルギーの方はご遠慮下さい」と書いてあり、中には「アレルギーの方はお断りします」とまで書いてある食堂もあるそうです。こども食堂は小規模な民間団体の運営で限界もあると思うが、必要なこどもがいることを理解し、もう一歩対応してくれないかという要望でした。
そしてその団体はアンケートに答えると、アレルギーフリーの食事セットをプレゼントするとのことでした。それを保管しておいて、アレルギーのこどもが来たら対応をして欲しい。それを使って、こども食堂の看板を「アレルギーの方お断り」ではなく「アレルギーの方には対応する食事を準備している」と書き換えてくれないかとありました。素晴らしい活動だと思い、アンケートに答えました。食材がもうすぐ届くでしょう。
私たちの教会でもこれまで「アレルギー対応はしていません」と毎回の看板やメニューに記載していました。実際に200食を作りながらアレルギーに対応することは難しいものです。でも保管できる別の物を準備しておくという少しの努力で、表記の方法や利用できる人が増えるという事を教えていただきました。
地域の方に平塚バプテスト教会は素晴らしい活動をしているとほめていただく機会が増えました。平塚バプテスト教会に誇らしい思いを持ちます。でもまだこれで完成ではないのです。まだまだ配慮できるのに、配慮していない自分自身に気付かされています。そのことを悔い改めます。食堂にたくさんの人が来ているからこそ、私たちは少数への対応は無理と言ってしまう、言えてしまうのです。私たちはもう一歩、少数者への配慮をしてゆきたい、そう思っています。
少数者を置き去りにしてしまう私たちです。もっとできることがあるはず、それを心にとめながらこれからの活動をしたいと思います。私たちも「アレルギーには対応していません」から「アレルギーの方には別のものが準備できます」と表記を変更しようと思います。もちろん少数者への配慮はこの食堂だけではなく教会全体のこととしても考えたい事柄です。そして少数者への配慮は教会だけではなく、私たちそれぞれの日常生活の中で目を向けてゆきたい事柄です。今日はこのことをきっかけにして、聖書を読みたいと思います。
さて今日はマタイによる福音書3章1~17節をお読みしました。今日の聖書の個所と食物アレルギー、少数者への配慮はどんな関係があるでしょうか。
イエス様がまだ公の活動を始める前、バプテスマのヨハネという人がいました。彼の元には大勢の人が集まっていました。彼は町から離れ荒野に住み、いなごと野蜜をたべて生きていました。5節~7節を見るとユダヤ全土からたくさんの人が集まったとあります。そしてその中にはファリサイ派とサドカイ派の人もたくさんいたとあります。
ファリサイ派とはユダヤ教の多数派です。たくさんの人がファリサイ派の指導の下に生きていました。サドカイ派とはいわゆる貴族のような人々で、当時のエリートです。彼らには誇りがありました。9節「我々の父はアブラハムだ」という誇りです。自分たちは選ばれた者であり、自分達は尊敬されていて、正しい事をしている、すばらしいことをしているという自覚があった人々だったのです。
自分たちに誇りをもった彼らにバプテスマのヨハネは言います。「そんなものは神様からしたら石ころみたいなものだ」。自分の先祖に対する誇り、人の誇りや、選ばれた者という意識、それらは神様にとって本当にたいしたものではないと言ったのです。神様は石ころのようにそれをすぐに創ることができ、すぐに壊せるものだと言ったのです。
ヨハネの元にはバプテスマを希望する人たちが集まりました。ヨハネのバプテスマとはどんな意味だったのでしょうか。諸説ありますが、例えばバプテスマは当時外国人が、ユダヤ教に改宗・入信するときに行われていたと言われます。改宗・入信の儀式だったのです。しかしファリサイ派の人もサドカイ派の人ももちろんすでにユダヤ人です。生粋のユダヤ人です。血筋のよい人です。多数派、エリート、正しい人です。ユダヤ人で高い自己評価を持つ彼らには本来バプテスマはまったく必要ありませんでした。しかし彼らの一部はバプテスマのヨハネの教えに呼応して、本来改宗・入信の儀式であるバプテスマを受けようとして集まってきました。彼らは、自分が正しい、自分が誇らしいという思いを捨て、バプテスマを受けようとしたのです。今まで自分たちが誇ってきたものを捨てる、バプテスマを受けようとしたのです。
そのバプテスマは人や世界を、これまでの正しさや誇りといった高みから見るのではなく、悔い改めや信仰の始まりといった低みから見直そうという運動でした。バプテスマを受け、人と世界を低い場所からもう一度見直す、それがバプテスマのヨハネが勧めた活動でした。それがバプテスマの意味でした。彼らがバプテスマの前に告白した罪とは、外国人や他宗教の人を見下してきた罪だったでしょう。少数派を軽んじたこと、自分が絶対正しいと思ってきた罪だったでしょう。彼らはその罪を告白し、バプテスマを受けて、新しい人生を歩もうとしたのです。高みからではなく、低みから人と世界を見る生き方に方向転換しようとしたのです。
13節以降はイエス様が登場します。イエス様も一部のファリサイ派、サドカイ派のように、このバプテスマのヨハネの運動に賛同したお方でした。イエス様もバプテスマを受けたのです。私たちは驚くかもしれません。イエス様こそ自分を誇るべき神の子だったはずです。14節のヨハネも「私の方が受けるべきだ」と言い、ためらっています。しかしイエス様は悔い改めて低みに行くことは「正しいこと」であり「私たちにふさわしい」のだと言います。誇っても誇りきることのできない神の子イエスが、誇ることを捨てる、そのことから地上での活動をスタートしたのです。そしてその時天が開き、霊が「これは私の愛する子、わたしの心に適う者」と称えました。誇らずに、低みに身を置く、このような生き方を始めることを霊がほめたたえたのです。
この後のイエス様の活動もこのバプテスマの延長線上にあると言ってもいいでしょう。イエス様はその後の生涯で自分を誇り、その権威によって人々を従わせたのではありませんでした。イエス様は人気が出て多数派になったのではありませんでした。ただ貧しい人、罪人と言われ差別された人、病に苦しむ人を訪ね、目を向け続けてゆきました。その人たちと食事をし、同じ場所で時を過ごしたのです。そしてイエス様はその後、十字架に掛かられてゆきます。バプテスマよりさらに低い場所へと向かわれていったのです。十字架に掛けられた姿はこの地上でもっとも呪われた者の姿でした。イエス様は最後、この地上でもっとも残酷な姿になりはてたのです。
しかし、その十字架こそ、人々の絶望ではなく希望となりました。イエス様は人々の絶望の中に、共にいるという希望となったのです。イエス様は高みから私たちを見下ろして、善悪を判断し、審判を下そうとしているのではありません。イエス様は今も誇るのではなく、低みから、十字架から私たちを見ているのです。共にいるのです。
私たちはイエス様の歩みからどのように生きるかを考えます。私たちの地域活動は人々に支持されています。私たちはそれを誇らしいと思います。多くの方が私たちの活動を支持してくれています。
でも私たちは誇る気持ちを脇に置きましょう。私たちはバプテスマを受け、イエス様に従う者であることを思い出しましょう。どんなにたくさんの人が来ても、人気がでても、低みへ追いやられた人、端に追いやられた人、寂しい思いをしている人を忘れずにこれを続けてゆきましょう。それがバプテスマを受けた者の歩みです。それがイエス様の十字架を支えとする者の歩みです。
私たちはそれぞれの生活においても、同じことが言えるでしょう。みなさんには誇るべきすばらしいものがあります。しかし私たちは誇らずに共に生きてゆきましょう。いつも私たちが置かれた場所で、困っている人、見過ごされている人、さみしい思いをしている人に目を向けてゆきましょう。イエス様のように、その人と共に過ごし、その人たち食べ、歩んでゆきましょう。お祈りをいたします。
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