「収穫感謝礼拝」マタイ15章32~39節

そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、七つのパンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。

マタイによる福音書15章35~36節

 

今日は10月16日の世界食糧デーに合わせてこの礼拝を、収穫感謝礼拝としています。私たちの教会で運営している「こひつじ食堂」に多くの食品が寄付されることに感謝しています。頂いた食べ物が、どこでどのように収穫されたのかを聞くと、食べ物の命を強く感じます。そして食べ物に命を感じると、感謝の気持ちが深くわいてきます。こども食堂はそのように食べ物と命に特別に感謝する場所です。

クリスチャンは食前に感謝の祈りをする習慣を持っています。私たちは食前の祈りで生産者の人に感謝すると同時に、それだけではなく、食べ物を神様が与えて下さったものとして感謝の祈りをします。キリスト教ではすべての命は神様が創造したものだと考えます。そして神様が創造した命を食べることを感謝して祈ります。食前の祈りは神様が私たちに命を与えて下さったことへの感謝の表現です。私たちはこの感謝と祈りを大切にしましょう。今日は聖書からイエス様が感謝している場面を見ます。その物語から、神様に収穫を感謝するということを考えましょう。

今日は特にイエス様の食前の感謝の祈りに注目します。この食前の感謝の祈りはどのような祈りだったのでしょうか。イエス様が感謝したのは、まずこの食べ物を寄付してくれた人に対してでしょう。そしてそれ以上に神様に対しての感謝を祈ったのです。それはすべての恵みは神様からのものだからです。

そしてこの食べ物をよく見ます。それらの多くはもともと命でした。穀物も魚もすべては命でした。神様に創造された大切な命でした。イエス様はここで、神様がこの命を創造し、この命を私たちがいただくということに感謝をしたのです。

イエス様は地上に人間として生まれました。そしてイエス様は神様の創造した命を食べて生きたのです。イエス様は食べる前にその命に感謝して祈りました。イエス様はこのように神様に向けて、その命を食べることに深く感謝をしたお方でした。

驚くべきことに私たちは神様が創造した命を食べて生きています。普段それを感じることはできないかもしれません。でも私たちが食前に祈るとき、それを思い出すことができます。私たちが誰かから食べ物をもらったとき、それを分かち合ったとき、私たちが命を食べていることを深く感じることができます。私たちは命に感謝して、神様に感謝して、それを頂きましょう。そのようにして私たちの命はつながっているのです。

私たちはただ収穫物に感謝するだけでなく、その背後にある生産者の努力に感謝をしましょう。そして神様からの豊かな恵み、私たちが神様の創造した命を食べていることに感謝しましょう。私たち自身の命に心から感謝しましょう。神様の愛が私たちのすべてを満たしてくださいます。私たちは収穫と命に感謝しましょう。私たちは食前の祈るたびに神様の愛を深く感じましょう。お祈りをいたします。