「平和のために行動をしよう」イザヤ書40章1~8節

谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。

険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。  イザヤ書40章4節

 

沖縄の伊江島という小さな島から、平和とは単に戦争がないことに加えて、もっと人々が自由で、平等な様子を言うのだということを考えます。

1945年伊江島の人々は日本軍から人間扱いされず、特攻のための箱型爆弾を背負わされました。戦後はアメリカ軍から人間扱いされず土地を奪われました。伊江島は戦争が終わっても平和は訪れていません。真の平和とは人々の権利が守られ、自由に平等に生きてゆける状態のことです。平和を実現する行動とは、伊江島の人々のように、戦争に反対し自由と平等に向けて働いてゆくことです。抗議運動を率いた一人に阿波根昌鴻という人がいました。彼はクリスチャンで、沖縄のガンジーと呼ばれる人です。彼は非暴力でアメリカ軍と対峙することにしました。さまざまな活動のひとつに「あいさつさびら(あいさつしようね)」があります。お互いが同じ人間同士だと伝えるための平和的な抗議運動として行われました。

その働きは聖書の平和と共通しています。イザヤ書40章はイスラエルが戦争に負けた後、戦争が起こした苦痛に苦しむ人々に向けられた神様の言葉です。「谷はすべて身を起こし、山と丘は低くなる」これが聖書の平和が実現してゆく様子です。

それはゆがんだ丸から説明することができます。現実の世界はゆがんでいます。自分だけが高く飛び抜けようようとして高ぶる者が居ます。聖書の平和とは押し込められていた人が元に戻り、高みにいた人が元に戻される、みんなが対等に、等しく満たされている状態です。ゆがんだ丸が平らになっていくことが平和です。

5節、私たちすべての人間は、共に神を見る者として存在をしています。人間の中にだれ一人、鬼畜はいません。すべての者が共に神の栄光を見る、尊い存在です。同じ人間として他者がいることを忘れずにいましょう。共に神を見る者として互いを思いあうことは私たちが平和を実現するための第一歩です。7節には「この民は草に等しい」とあります。私たち人間は葦のように弱い存在です。でも私たちはただの草ではありません。私たちには神様の言葉があります。私たちは同じ人間であるという神様の言葉、神が私たちに平和を与えるという言葉が、弱い私たちにはあります。弱くても共に神のことを求め、平和のために働くことができるのです。

私たちの世界は平和ではありません。まだ様々な場所に、低くされ、抑えつけられ、人間扱いされていない人がいます。私たちは特に痛みを覚える人に目を向けましょう。そしてそれが元に戻されるために働きましょう。互いを対等な人間として、共に神の栄光を見上げる存在として大切にしましょう。挨拶をしてゆきましょう。そして神様の平和の約束を信じましょう。お祈りします。