【全文】「つながっていようよ」ヨハネ15章1~10節

みなさん、おはようございます。今日もこうして共に礼拝できること、主に感謝します。私たちはこどもの声がする教会です。今日もこどもたちの声を聞きながら、一緒に礼拝をしましょう。

2か月間にわたってキリスト教に初めて触れる人に向けて話をしてきました。教会では難しい儀式したり、難しい話をしたりしているのではないことだけでも分かってもらえたらうれしいです。集まっている人は普通の人です。それぞれに人生の喜びや苦しみ、日常があります。その中で神様の助けを受けて生きようとして、励まし合う仲間と共に教会に集っています。神様の力を受けて、誰かのために、何かできることをしようと思って集っています。どう生きてゆけばいいかを毎週考えています。ぜひこれからも教会に来て下さい。またYoutubeをご覧になって迷っている方、ぜひお近くの教会に行ってみてください。繰り返し通うと、自分の中に変化が起きてくると思います。ぜひこれからも一緒に礼拝しましょう。

今日は「祈祷会(きとうかい)」という教会の集会をご紹介します。これは毎週水曜日午前10時30分からと夜8時から行われている集まりです。教会では礼拝に次いで大事な集まりと位置付けています。

祈祷会では賛美を歌い、聖書を読み、5分くらい私から解説をします。そのあとは自由に聖書から感じた感想を話し合います。それぞれの感想ですから、正解も不正解もありません。その感じ方が間違っていると否定されることもありません。自分が感じたこと、疑問に思った事、わからないこと、イメージしたことをただただ分かち合ってゆきます。

そして一人一人の感想を聞いていると、わからなかったことが分かるような気がしてきます。神様ってそういう方なのかぁ、こんな風に生きてゆけばいいのかなと思いつきます。そのように、みんながイメージを分かち合うと、聖書が伝えようとしていることが分かるような気がしてくるのです。

祈祷会ではその後に祈りの時を持っています。祈りの課題という教会が互いのこと、みんなで祈りたいことのリストをもとに黙祷し、心の中で神様に祈ります。自分自身のことでみんなに祈って欲しいことがあればそこで分かち合います。「祈祷会」というと大声で激しく祈ったり、地鎮祭のような祈りの儀式をするようなところに思われるかもしれませんが、そうではありません。実際には互いの聖書の感想を聞きあう会、一緒に神様に祈る会です。自分の悩みを打ち明けなくてはいけないということもありません。自己解放の度合いは個人個人に任せられています。教会学校も似た雰囲気です。

私はこの「祈祷会」をとても大事だと感じています。日曜日だけではなく、水曜日にも神様とのつながりを感じることができ、力が湧いてきます。そして祈祷会は神様とのつながりだけではなく、他者とのつながりをも感じることができる場所です。祈祷会は一緒に言葉を交わし、祈ることで、神様とそして仲間とつながっているという実感が持てる場所です。礼拝もそうですが、祈祷会はもっと仲間とのつながりを感じることができる場所です。ぜひ参加してみてください。今日はつながりということをテーマに宣教をしたいと思います。

 

 

ヨハネ福音書15章1~10節をお読みいただきました。今日の個所で大事なことを3つのつながりを紹介します。ひとつ目は「あなた方は私につながりなさい」ということ、2つ目は「私はあなたにつながっています」ということ、そして3つ目は「みんながつながる」ということです。まず一つ目のあなた方は私につながっていなさいから見ます。

 

神様は、私たちにあなたたちは私としっかり「つながっていなさい」と言っています。あなたたち人間は、神様をつかんでいるその手を絶対に放してはダメだよと言っています。神様とつながることを忘れないようにしましょう。神様はいつも私たちを導き、生きるヒントを与えてくれます。だから私たちは忙しい時でも、しんどい時でも、神様につながっていましょう。たとえばなるべく礼拝に集ったり、祈祷会に集ったり、聖書を読んだり、祈ったりすること、大事にしようということです。頑張ってゆきましょう。これがひとつ目に大事なことです

 

そして2つ目に大事なこととして神様は私はあなたがたに「つながっています」と言っています。それは私達から神様につながるのではなく、神様から私たちにつながってくださっているということです。私が手を離したら、神様が離れてしまうのではありません。私が忙しくて、心がいっぱいいっぱいで、もう捕まっていられない時も、神様の方からつながっていてくださるのです。私たちのどうこうは関係なく、神様から一方的につなげられているということです。これは大きな安心です。悪いことが起きた時、私が頑張って神様につながっていなかったからだと思うかもしれません。でもきっとそれは違います。神様はいつも私につながっているとはっきり言っています。つらい事、悪い事はどんな時でもおこります。でも、どんなにつらい時も、私がどんな状態の時も神様は私たちにつながってくださっています。だから神様を信じる人は安心して生きることができるのです。うまく自分から神様につながれなくても大丈夫です。神様はあなたにもうつながっています。神様は離れることなくあなたと一緒にいてくださいます。神様は私たちを必ず良い方へと導いてくださいます。だから安心してゆきましょう。これが大事なこと2つ目です。

 

さて大事なことの3つ目を紹介します。大事なことの3つ目は「あなたがた」という言葉に隠れています。あなたがたはつながっていなさい、私はあなたがたとつながっているという言葉には「あなたがた」ということばが含まれています。この「あなたがた」は私個人を指す言葉ではなく「みんな」を指す言葉です。神様は「あなた」はつながっていなさい、私は「あなた」につながっていると言っているのではありません。「あなたがた」みんなで神様につながりなさい、神様はみんなにつながっていますと言っているのです。私が神様とつながることが大事です。しかし今日の個所によれば、私たちみんなでつながるということも大事なことだと言っています。私たちは自分がつながるだけではなく、みんなで神様につながるのです。

そしてみんなで神様につながる時、みんなに神様がつながる時、私たちの間には神様とのつながりだけではなく、私たち同士、人間同士のつながりも生まれるはずです。神様は人と神がつながっていると伝えると同時に、私たちに人間同士も、神様によってつながっているというのです。そのような人間のつながりも、神様がおこしてくださるのです。私たちはみんなでつながると、互いが神様にどうやってつながっているのかを知るようになります。こうやって神様はこのひとにつながって導いているのだとか、この方はこうやって神様につながろうと頑張っているのだということを良く知るようになります。互いがどうやって神様につながり、つながれているかをよく見ることはとても大事なことです。自分はどうやって神様につながればよいのか、仲間をよく見るとわかります。どんな風に神様がつながっていてくださるのか、自分を見るよりも、周りの人を見た方がよくわかります。神様は私たちも互いにつながるように言っています。あなたはみんなとつながりなさい、みんながあなたにつながっているよと言うのです。

礼拝・祈祷会は毎週この3つのつながりを確認する場所と言えるでしょう。一人一人が一生懸命に神様につながろうとする場所です。そしてそれを超えて、神様が私たちにつながってくださっていると感じる場所です。そして集った私たち同士もつながっていると感じる場所です。私たちはそこから生きる力、励ましをいただいて、歩んでゆくのです。特に祈祷会は3つ目のみんなでつながるということを感じることができる場所です。

さて、2か月間はじめてキリスト教に触れる方に向けて、聖書から生き方のヒントを考えてきました。今日は特に神様とつながることの大事さを見てきました。初めて来た方、これからもどうぞ神様につながってゆきましょう。それぞれが神様に一生懸命に祈り、他者を愛し、生きてゆくことを大事にしましょう。神様もあなたにしっかりとつながっています。どんなつらいときも神様はあなたにつながっていて、守り、導いてくださるはずです。神様とつながっているからこそ、励ましを受けたり、慰めを受けたり、勇気をもらうことができます。神様がつながっていてくれるなら、私自身に力がなくても前に進むことが出来るのです。そして私たちはみんなで神様につながりましょう。

毎週教会ではこの礼拝と言う集会を持っています。みんなで神様につながりたい、神様はみんなにつながっている、そう信じている仲間が毎週集まっています。それぞれいろいろな苦労をしているけれど、私たちはみんなで神様につながろうね、わたしたちもつながっていようねと言い合います。それは私たちみんなの人生にとって大きな励ましになっています。私たちはそこから前に進むことができるのです。

神様が私たちみんなにつながっていて、みんなが神様につながっています。そして私たちもつながっています。私たちはみんなで神様につながっていましょう。そして私たち同士もつながっていましょう。そんな風に教会で、神様とのつながり、人とのつながりを感じながら生きてゆく生き方をお勧めします。お祈りします。