「原発と命は共存できない」ヨハネによる福音書12章1~8節

マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。   ヨハネによる福音書12章3節

 

珠洲市には原発計画がありました。もし原発があったら深刻な原子力災害になっていたはずです。原発の恐ろしさを改めて感じています。珠洲市の原発の反対運動の中心的存在だったのは、地元のお坊さんでした。原発反対は宗教者の役割でした。

原発を建てるために電力会社は住民に猛烈な接待をします。「カネ」の力で賛成させるのです。そんな中、ある一人のお坊さんが「危険な原発と命は共存できない」と道路に座り込み、お念仏を唱えながら原発反対を訴えました。今このお坊さんは住民から、原発に反対して私たちを救ってくれたと大変感謝されているそうです。

「あまりに危険な原発と命は共存できない」それが多くの宗教者の共通した訴えです。今だけ、カネだけ、自分だけを考えるなら原発がよいのでしょう。しかし、宗教者は何よりも命の大切さを判断基準にします。だから危険な原発に反対をしてます。今日はカネより大切なものがあることを聖書からみていきたいと思います。

マリアはたくさんの香油をイエス様の頭に注ぎました。おそらく彼女は日々の稼ぎから少しずつ香油を貯めていました。仕事でつらいことがあっても、悲しいことがあっても耐え、少しずつ貯めました。それはまさに彼女の汗と涙の結晶、不屈の精神の塊でした。しかし彼女がこれだけ苦労して稼いだお金を、このように使わせるものは何だったのでしょうか?何が彼女をつき動かしたのでしょうか。

彼女を突き動かしたのはイエス様の行動と言葉です。イエス様は罪人とされた人、汚れているとされた人と連帯しました。イエス様は小さくされた命、隅に追いやられた命に目を向けました。マリアはこのイエス様の命への向かい合い方に深く共感をしました。自分のように隅に追いやられ、それでも一生懸命生き、働く、そのような人々に目を向けるイエス様に深く共感をしたのです。その命へのまなざしを持つ方に、私のあの香油をすべて注ぎたいと強く思ったのです。

私たちの世界では相変わらずカネや費用対効果が基準とされ、原発が作られようとしています。この物語はそのようなカネ中心の社会に、生き方に抵抗する物語です。イエス様の命へ向き合う姿勢に強く共感し、行動を起こした人の物語です。イエス様は私たちにもこのような命への向き合い方を求めておられるのでしょう。

私たちは何に価値を見出し、何を守るでしょうか。私たちにはカネや効率よりも大切なものがあります。何よりも大切なのは命です。イエス様は命の大切さ、平等さを教えています。私たちはその命へのまなざしを何よりも大事にしたいのです。世界には命と共存できないものがあります。特に戦争や差別、不正なカネ、原発は、命と共存することができません。私たちは主イエスの教えに従い、命を守る働きをしてゆきましょう。たとえ小さくても効率が悪くても、無駄のように思われても、命が守られる手立てを選んでゆきましょう。お祈りします。