「入りやすい教会」ヨハネによる福音書1章19~27節

ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」       ヨハネによる福音書1章23節

 

普段教会は敷居が高いと言われます。これから教会に入ろうとする人は、急な階段を上るような敷居の高さを感じています。教会にスムーズに入るにはスロープの様なものが必要です。私たちの教会に置き換えると、このスロープはこひつじひろば、こひつじ食堂、こひつじまつり、こどもクリスマスなどでしょう。私たちはスロープを拡げてゆき、いつかたくさんの人と礼拝したいと思っています。愛と平和の神に続くまっすぐで、ゆるやかな道を作ってゆきたいと思っています。

ユダヤ教には当時、いろいろな信仰のグループがありましが、どれもそのグループに入るのは高いハードルがありました。それらと比較すると、新しい生き方を始めるバプテスマ・洗礼という入会方式はハードルが低いものだったはずです。それは血縁や身分、性別、経済力を問わない、誰でも入ることができる、平和的なグループだったのです。どんな人でもバプテスマによって新しい生き方を始めることができる、誰でもそれは受けることができる。それに共感する人々はどんどん増えて、多くの人がバプテスマを受けてゆきました。

ヨハネの「主の道をまっすぐにせよ」とはどんな意味でしょうか?それはつまり、神様のために平らな道を作りなさいということです。彼の目的は神様に通じる道をまっすぐ平らにし、みんなが通りやすい様にすることだったのです。みんなが神様にたどり着くことができるように、神の愛と平和にたどり着くことができるように、そのための道を平らに整える、それが彼の目的です。

これはイラストのイメージと重なります。私たちは今、バプテスマのヨハネと同じ使命をいただいているのかもしれません「主の道をまっすぐにせよ」「平らにせよ」。私たちはその声に促されて、道を造っているのではないでしょうか。

もうすぐクリスマスです。光を求めて多くの人が教会を訪ねて来るでしょう。私たちは平らでまっすぐな道を造りましょう。キリストの愛と平和にまっすぐに、緩やかに向かうことができるように、まっすぐで平らな道を造りましょう。みんなが入りやすい道を造りましょう。私たちにはヨハネと同じ役割が与えられています。お祈りします。