わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。 ローマの信徒への手紙8章39節
今日は召天者記念礼拝です。天に召された方たちを覚えて礼拝を献げます。仏教では死の7日後に三途の川を渡り、49日後にあの世へと行きます。そしてその後、来世があると信じられています。生まれ変わってまた、別の時代を生きようになるのです。仏教では、死んだ後どのようになるのか、明確な順序があり、生まれ変わるという明確な行先が示されています。ではキリスト教では死後をどのように考えるでしょうか。聖書には死んだ後について様々なことが書いてありますが、はっきりとしたことは書いていません。神様は死に向き合う私たちに何を語り掛けるのでしょうか。聖書に聞いてゆきたいと思います。
今日の個所は死についてはっきりと宣言をしていることがあります。それは「死さえも神の愛と私たちを引き離すことができない」ということです。死んでも続くものがあるのです。それは神様の愛です。人間の死は多くの意味で節目です。死はたくさんの事との別れをもたらします。だからこそ私たちは、死はすべての終わりだと思うのです。でも聖書は死すらも、神様の愛と私たちを引き離すことができないと語っています。
私たちには人生に行き詰まる時があります。人生に行き詰まり、もうこれ以上できることはない、できないと思う時があります。しかしその時も、神様の愛は私たちから離れません。何ものも私たちから神様の愛を引き離すことはできないのです。
私たちが何とか神様の愛にしがみつくのではありません。神様はどんな時も私たちを離さないお方です。神様の愛が私たちを離れないのです。神様が私たちをつかみ、神様の愛から離れないようにしてくださるのです。
現在も未来も、神様の愛を私たちから引き離すことはできません。人間同士の関係は時間がたつと変わり、薄れていってしまうものです。でも神様の愛は違います。高いところ、低いところとは、宇宙全体を意味する言葉です。宇宙全体よりも神様の愛が勝るということです。どんな被造物も、宇宙すらも、空間すらも神様の愛から私たちを引き離すことはできないということです。神様の愛は時間も、空間も超えて私たちから引き離れないのです。そして神様の愛はたとえ死んだとしても、私たちに変わらずに注がれ続けます。神様の愛は死すらも私たちから引き離すことができないのです。私はそこに私の希望を置きたいと思います。
写真の方たちは今日も神様に愛されています。中には時の経過とともに、この教会との関係が徐々に分からなくなってきている方もおられます。でも神様の愛は引き離れません。どんなに長い時間も、空間も、死も神様の愛からこの方たち、私たちを引き離すことができないのです。
私たちは今この地上の生涯を一生懸命生きましょう。神様からの変わらぬ愛を受けて、精一杯を生きてゆきましょう。お祈りいたします。