みなさん、おはようございます。今日も共に礼拝できること主に感謝します。私たちはこどもを大切にする教会です。今日も一緒にこどもたちの声と足音を聞きながら一緒に礼拝をしましょう。
今日まで3回、地域協働をテーマに宣教してきました。今の平塚バプテスト教会は食堂によって、みんなで協力をする場所になったということ、敷居が下がったということ、人間は食べるだけではなく関わりが必要だということを見て来ました。今日で地域協働のテーマを最後にしたいと思います。
食堂ではいろいろな出来事、いろいろな出会いがありすぎてどうまとめればよいかわかりません。でもきっとこのような出来事や出会いは私たちに多くの気づきを与えてくれるはずです。今日はそれぞれ断片のようになりますが、食堂で起きているエピソードを、みなさんに紹介します。そこから教会のこと、神様のことを考えたいと思います。
いつもお弁当を買うおばあちゃんがいます。先日町であって挨拶すると、お疲れの様子でした。おばあちゃんは「本当は私も食堂のお手伝いしたいのだけど、95歳で要介護3の親が同居していて介護が大変なのよ」と言っていました。また気分転換に食堂に来てくださいねと言いました。
きれいなマンションに住んでいる人がお弁当の列に並んでいました。その方は一人暮らしですが、夕食分と明日のお昼の分2個のお弁当を買いました。すると後から生活保護を受けているおじちゃんが、並びました。そして行列に並んでいる最中に疲れて座り込んでしまいました。もうすぐお弁当は売り切れです。見かねた女性は「自分の分を一つあげてもいい」「お金はいらないから、あのおじちゃんにあげて」と言いました。私はそのお弁当を受け取って、おじちゃんに手渡しました。
いつも営業終了間際に来るおじさんがいます。お代わりしたいとか、あっちの席で食べたいとか、いろいろわがままを言うおじさんです。彼は帰りがけに「また来ます、俺は奥さんにも、家族にも逃げられちゃって寂しいからさ」と言い残して帰っていきました。また来てねと言いました。
いつも親子で食堂を利用してくださる方が、こどもクリスマスに来てくれました。するとお母さんが上手に讃美歌を歌っていたのです。次に食堂で会った時に、どうして讃美歌を歌えるのか聞きました。実はキリスト教系の幼稚園で働いているそうです。自分のこどもは普通の幼稚園です。こどもにキリスト教に触れる体験をさせたくて食堂に来ているのかもしれません。
それぞれ一人暮らしをしているおばあちゃん4人組が利用してくださっています。おしゃべりしながら食事をするのは楽しそうで、会堂には大きな笑い声が響きます。おばあちゃんたちは帰り際に別れを惜しむようにお互いに手を振っていました。おばあちゃん、また教会に来てください。
こひつじ食堂に急いでいたお母さん。早くしないとお弁当が売り切れてしまうと、自転車で急いで向かっていました。しかし道ばたにお財布が落ちているのを見つけてしまったそうです。食堂に間に合わないので拾わずに通り過ぎようとした時「私はこれから教会に行くのに、それでいいのか」と思ったそうです。お財布を拾って、交番に届け、急いで教会に来てくれました。お弁当はまだ残っていたそうです。
来月、愛知県にある教会の方が、こひつじ食堂の話を聞きたいと、新幹線に乗って3名で訪れる予定です。他にも近所に教会のこども食堂はあるはずですが、地域のボランティアさんと協力しているところは少ないからと平塚まで訪ねて来る予定です。
こひつじ食堂で使えるギフト券を作りました。1枚200円で購入して、誰かにプレゼントすることができます。誘いたいお友達や気になっている(困っている)あの人にプレゼントできるように作りました。最初は「無料券」という名前で作ろうと思っていましたが、無料券だともらったり、使ったりするのに後ろめたい気持ちが生まれないかという意見があり「ギフト券」という名前になりました。
食堂は15分くらい前から行列ができます。並ぶのに疲れた人たちは、石段に座り込んでいますが高齢者も多く、立ち上がるのにひと苦労です。会堂で使っていなかった長椅子を外に置いて、座って待ってもらえるようにしました。今日の宣教題が掲示されている前に、みんな行列をしますが、地域と教会について何を感じているでしょうか。
いつもお弁当の容器を買っているお店がアルバイトを募集していました。妻がそこで働き始めました。お弁当が余ってしまった時は、従業員の方に電話し、買い取ってもらっています。隣のセブンイレブンの店員さんもお仕事終わりに利用されています。隣の美容室の店員さんも利用されます。
始めてもうすぐ3年になりますが、回を重ねるごとにボランティアの皆さんのスキルが上がっています。お願いしようと思っていたことを言葉にする前に、いつの間にか終わっていたりします。すごく助かって言います。
食堂をすると大量の寄付が集まり、大量の段ボールゴミが出ます。いつも大量に出すので、縛らずに、ひと箱に詰めて出して良いか、ごみ収集車の人に聞きました。「いいよ」と笑顔で答えてくれました。そして「今日もみんなで食事のやつするの?」と聞かれました。ゴミ収集のおじさんも、のぼりを見て食堂のことを知ってくれていたのです。毎回使ってくれている170人はきっとごく一部です。行ったことはないけど、知っている人はきっと数百人、数千人いると思います。
食堂の準備が落ち着いたので、週報を折っていました。ボランティアの方が「手伝いますか?」と声をかけてくれました。私は「いえ、これは教会の仕事なので、大丈夫です」と言いました。そうすると「私は教会に手伝いに来ているのだから、そんなこと気にしないでいいですよ」といって手伝ってくれました。
食堂の情報をお知らせするラインの登録者数は180名を超えました。イースターたまごひろい会の案内を配信したら数十名の人が集まりました。次は水遊び会と花火会をやりますが、人が集まりすぎないか心配をしています。
町を歩いていると「牧師さん、次のメニューは何ですか?」と声をかけられます。「まだ決まっていません、何がいいですか?」と聞き返します。そうすると「なんでもいいです。みんなで食べるのが楽しいから」と言われます。次のメニューは何ですか?は、よい挨拶だと思います。
40代独身男性のボランティアさんが、小さいこどもにせがまれて、絵本の読み聞かせをしています。人生で初めてこどもに絵本を読んだそうです。
一緒に食事をしていたママに、平野さんはなぜ牧師になったんですか?と聞かれました。教会では気軽に聞けないことを、気軽に聞いてくれました。簡潔に証しをする訓練でした。
食堂の日、教会員で誕生日の方がいました。準備の合間にボランティアさんがピアノを弾いてくださいました。そしてみんなでハッピーバースデーを歌って、お祝いをしました。
食事を食べ終わったこどもが、こども室でまんが聖書を一生懸命読んでいました。10年後このこどもたちが食堂を手伝ってくれたらうれしいです。20年後、このこどもたちがこの会堂で結婚式をしてくれたらうれしいです。不安なことがあったら、どこかの教会を訪ねてみて欲しいです。いつか利用者の方のご葬儀もできたらうれしいです。
教会が地域の方とこのように関わることが出来ていることがうれしいです。しかもその関係が伝える、教わるといった堅苦しいものではなく、どこかほのぼのとするような、ほっとするような関係であることがうれしいです。このような地域との関わりが、教会からもっと広がってゆけばよいと思っています。
今日の聖書の個所をみましょう。私は今日の聖書の個所に、食堂のほのぼのとした風景と同じ印象を持っています。詩編は元々曲がついていたと言われます。ですからこれは歌です。曲の中にある、なんとなく感じる印象を大事にしたいと思います。ほのぼのとした教会と地域の関りをイメージしながら、この個所を読みたいと思いました。私は食堂を利用している方たちに、教会がこんな印象を与えられたらいいなと思いました。地域の方に教会ってこういう場所だ、神様ってそういう感じの方なのねと伝わってくれたらいいと感じます。
1節、教会は、自分に足りない物が何かをとやかく言われる場所ではありません。いわゆる説教される場所ではありません。教会に来たら、ああ私にはたくさんの恵みがあって、たくさんの仲間がいて、たくさんの幸せなことがあるのだ。寂しくても、困っていても、自分に欠けているものなんて、ちっともない。教会はそのように思えるような、場所になりたいです。
2節、教会に来ると青草の原で寝っ転がるような、水のほとりでマイナスイオンをたっぷり感じるような、そんな安らぐような体験をしてほしいです。3節の魂が生き返るような、そんな気持ちになれる場所に教会をしたいです。
4節人生にはいろいろなつらいこと、災いがあるものです。しかし誰かが共にいてくれる、それが人を力づけるものです。誰か共にいることが私を力づけるのです。教会に来たときそれを感じてもらえたらうれしいです。仲間がいるっていいな。誰かが共にいるって心強いなと感じて欲しいです。
5節苦しい時こそ、教会は食卓を整えて迎えましょう。私たちは杯があふれるほど、蓋が閉まらないほどのお弁当を作って、皆さんを迎えましょう。教会はそのような場所になりたいです。神様がそのように杯をあふれさせるお方だからです。
6節命ある限り、慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまるであろう。教会をそんな場所だと思ってもらえたら嬉しいです。ずっと来たい、自分の家のようだ、ずっと元気でいよう、そんな活力につながるのなら私はうれしいです。そして食堂の雰囲気を通じて、神様の事も伝わったらうれしいです。お祈りします。