「聖書とこひつじ食堂」ルカ9章10~17節

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。 ルカ9章16節

 

今月は地域協働というテーマで宣教をしています。私たちの教会では「こひつじ食堂」を開催しています。こひつじ食堂で提供したメニューは地域の人々の記憶に焼き付いています。食事の楽しさや思い出は教会のクリスマス愛餐会も同じでしょう。私が一番好きだったのはボリビア料理のピケマッチョです。食べることは思い出作りです。一緒に食べたことは記憶に残るのです。

私が食堂で一番おいしかったのはブリのから揚げです。獲れたてのブリをたくさんもらって、から揚げにしたのが、忘れられない味、大事な思い出です。先日はパンをもらいました。とうとう私たちは地域の方から魚をもらい、パンをもらうようになりました。そのようにして提供した食事は5000食を超えています。

今日私はこの個所を改めて地域協働の視点で読んで感動しました。私たちの教会とのたくさんの共通点を見つけました。私たちの教会は魚とパンが集まり、5000人が食事をする教会です。私たちはいまその体験の中にいるのです。今日はそのような地域協働の視点で聖書を読みたいと思います。

イエス様は弟子たちに13節「あなたがたが食べ物を与えなさい」と言います。私には、あなた方が食堂をしなさいと聞こえます。イエス様は一緒に食べるために働くように私たちを促しています。弟子たちはきっと、私たちと同じように戸惑ったでしょう。さらにパンも魚もありませんでした。しかしどこからか魚もパンも集まって来たのです。そして足りないと思っていたものは余るほどだったのです。

余っていることはどんな意味を持つでしょうか。最初は絶対に無理と思っていたのが、終わってみたら、もうちょっとできたねと思えたということです。これも私たちは同じ経験があります。いつも終わった後、また次も頑張ろうねと思えるのです。

5000人の食事は人々の記憶にしっかりと残りました。忘れられない食事としてみんなの記憶にしっかり残り、語り伝えられ、聖書にも記録されました。この食事は主の晩餐につながってゆきます。イエス様との食事を忘れられない食事として、イエス様を想起するために、食事を伴う儀式である主の晩餐が持たれたのです。

私たちの食堂もこのような機会になっているでしょう。ここで食事をしたことは地域の人の記憶にしっかりと残っているでしょう。いつ思い出してくれるでしょうか。ブリを見た時、パンを見た時かもしれません。その時、教会の十字架を思い出す人がいるかもしれません。そのように食事の思い出と共に、私たちの教会があります。食事の思い出と共にイエス様がいるのです。これも私たちと同じです。イエス様との食事を思い出すのが主の晩餐です。私たちはパンを食べて思い出すのです。

私たちはこのように、地域と関わり、地域との共食を大切にしてゆきましょう。地域の人々と一緒に5000人になってゆきましょう。お祈りします。