「神はどんな方か」ルカ5章1節~11節

「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」ルカ5章5節

 

1月は「神学」というテーマで宣教をします。神学とはキリスト教を理解する方法のひとつです。神学は他の学問と同じように分野が分かれます。主には聖書学、組織神学、歴史神学、実践神学の4つです。聖書学とは文字通り聖書の分析をする学問です。組織神学とは神、聖霊、人間とは何だろうとテーマごとに分けて研究する学問です。歴史神学はキリスト教が歴史にどのように影響を与え、影響を受けてきたのかを知る学問です。そして実践神学は今の私たちがどのようにキリスト者の生活を実践するか、そしてどのように礼拝・礼典をするのかを考える学問です。

今日は組織神学の視点で考えたいと思います。私たちの信仰告白がよい例です。聖書や歴史といった軸から少し離れ、神、聖霊、イエス、人間、救いについて考えます。そしてそこから、神様はイエス・キリストを私たちのもとに送ってくださったお方だということ。すべての人間を愛に招いていることを見てゆきたいと思います。

神様とは、人間にイエス・キリストを派遣したお方です。神様はもともと旧約聖書の時代に様々な方法で、自分の思いを人間に伝えていました。しかしある時、神様はイエス・キリストを通じて、人間に自分のことを教えようと決断しました。今日のシモン・ペテロにとっては、ゲネサレトの湖畔でこの出来事が起きました。

イエス・キリストとは、神様からこの地上に、人間のもとに派遣されてきたお方です。神様の愛を指し示す存在として、人間に与えられました。イエス・キリストは人間の日常生活の中に現れるお方です。成果の出ない、無関心な人間に声をかけます。イエス・キリストの招きはこのように起こります。ふさわしい人間を招くのではなく、すべての人を招くのです。特に、落ち込んでいる人を選び招くのです。

人間とは、罪深い存在です。神は人を愛し、いたわり、助けることを求めています。罪とはその反対に、人を無視し、冷たく接し、困っているのに見ないふりをして助けないことです。人間は「人を愛せ」と教えたイエス・キリストに従うことによって、変えられてゆきます。「み言葉ならば」と再び行動する者へと変えられるのです。

救いとは、人間が人間を愛せるようになるということです。もう誰も愛せないと失望していた人間が、もう一度人間を愛そうと思えること、それが救いです。人を捕る漁師になるとは、人間を愛す者になるということです。それが私たちの救いです。

教会とは、このように救いに招かれた者の集まりです。教会はそのように人間を愛するために集められた群れです。私たちは愛し合い、大切にしあう様に招かれた群れなのです。そして教会は礼拝します。ペテロがイエス・キリストに出会い、イエスに膝まづいたように、教会も毎週、礼拝をするのです。

私たちは今日の個所から神様、イエス・キリスト、人間、救い、教会、礼拝について考えました。これからもこの主イエス・キリストから、主にある希望をいただいてゆきましょう。お祈りいたします。