「すべての人を生かす神」ルカ20章27~40節

この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。ルカ福音書20章36節

 

今日は召天者記念礼拝です。天に召された方々は神様のもとで苦しみや不安、心配事の無い毎日、平安な時を過ごしているでしょう。

久しぶりに集われたご家族もいると思います。教会は少しずつ、男女に分けて物事を考えることから解放されています。聖書には当時の時代背景から来る、女性蔑視の表現が多くあります。しかし同時に、当時常識だった男女差別を超える表現として、見直されている箇所もたくさんあります。今日の個所でもイエス様は男女、あらゆる性別が対等に生きることを、死というテーマから教えています。

サドカイ派はたとえ話をします。当時、女性の人生最大の役割は健康な男子の跡取りを産むことでした。しかしこの女性は男子を産むことがないまま、夫に先立たれてしまいました。夫の弟と結婚しますが、さらに男子を産まないまま、夫に先立たれてしまいました。このような結婚が7回続きました。サドカイ派は質問をします。みんな復活した時、この女性の夫は誰でしょうか?

復活を信じるかどうかは個人の自由ですが、このたとえ話が架空の話だったとしても、あまりにひどい話です。女性に負わされた、男子を産む、跡取りを産むという役割と負担、そして夫を亡くした悲しみ、それが7回繰り返される悲しみは、この話では想像すらされません。サドカイ派は最後まで徹底して、男性中心主義で語り抜きます。いくら2000年前だったとしても、ひどいたとえ話です。

このたとえ話にイエス様はどのように答えるでしょうか。イエス様は次の世では女性が男性に振り回されて生きる必要はないと言っています。女性も天使に等しい一人の大切な存在として、神の子として生きるのだということです。神様が約束している次の世、それは女性が男性に振り回されない世です。すべての性が不安や心配や痛みから解放されるということです。それが召天者の方々に起きていることです。この方々はすべての不安から解放されて神の子とされているのです。

そしてもう一つ大切なことがあります。私たちは生きている者も、召天した者も、男も女もすべての性も、神様から同じ命が与えられています。しかし今の社会ではどうでしょうか。さまざまな差別や不安が多くあります。神様は生きている者の神様です。この地上でも、神様から与えられたすべての命が、天使や神の子の命として大切に扱われるように祈ります。

今日私たちは天に召された方たちはきっと不安もなく、苦しみもなく、心配事もありません。誰かに物のように扱われることなく、天使の様に、神の子の様にすごしているでしょう。だからこそ私たちは安心してこの皆さんを天へと送りだしています。そして私はこの地上もそのような場所になることを願っています。神様は御心が天になるがごとく、地にもなりますようにと祈っておられます。召天者に与えられた平安が、地上の私たちにも与えられるように祈りましょう。