「ハチドリのひとしずく」マルコ12章38~44節

イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。

マルコ12章43節

 

南アメリカ・アンデス地方に「ハチドリのひとしずく」という話があります。1羽のハチドリが、山火事の中で森に残り、くちばしで水を一滴ずつ運び、火事を消そうとしました。他の動物たちは「そんなことして何になるんだ」と笑いました。しかしハチドリは「私は、私にできることをしているだけ」と答えたと言います。私たちの日常と世界には、大きな課題に対して、私の働きは小さすぎてほとんど無意味と思える時があります。でも、あきらめない一滴が大事なのです。

イエス様もあきらめないで、小さなことを大切にする生き方を勧めた方だと思います。イエス様は事柄の大小ではなく、あなたにできることをすることが大事、あきらめず、小さい事を大きな愛で進めてゆこうと私たちに呼びかけています。聖書からイエス様のそんな姿を見てゆきましょう。

聖書には律法学者がやもめを食い物にしたとあります。これは人の人生の混乱や不安に紛れて、財産を奪おうとした宗教詐欺です。霊感商法と同じです。イエス様は律法学者のような“偉い人”ではなく、社会で見過ごされる人に目を向けました。

今日の物語の主人公は偉大な者ではなく、見過ごされている人です。やもめの信仰を見てゆきましょう。エルサレム神殿の賽銭箱は誰がどれくらい献金したのかわかってしまいました。お金持ちはジャラジャラジャラと献金します。まわりは「おぉ」となり、拍手が沸いたでしょう。しかしやもめの献金はチャリン。誰かが小銭を落としたかのような音です。周りで見ていた人は、そんなことして何になるのかと笑ったでしょうか。しかし聖書によればこのやもめはレプトン銅貨を2枚献げたとあります。もう一度チャリンと小さな音がします。

イエス様はそのレプトン銅貨2枚を素晴らしいとおっしゃるお方です。あなたの、小さくても、自分ができる精一杯をしようという信仰が素晴らしいというのです。「はっきり言っておく」とは「アーメン」という言葉です。イエス様は女性が献げる信仰を見て「アーメン」「確かにそれは真理だ」とおしゃったのです。

私たちは今月礼拝というテーマで宣教をしています。私たちもこのやもめのように礼拝を献げましょう。周囲からは、礼拝は何の役に立つのかわからないかもしれません。でも、私たちはできる限りの礼拝を続けましょう。私たちは笑われても、自分ができる礼拝をする、そんな生き方をしてゆきましょう。そして派遣された場所で、小さいけれど大きな愛で、私や、教会にできることをしてゆきましょう。

今日は高齢者祝福祈祷の時を持ちます。聖書によれば、大きなことができなくてもいいのです。それぞれができる礼拝を、できることを、一滴ずつしてゆきましょう。きっと神様は、そのような私たちを見て、誰よもよりもたくさん入れた「アーメン」と言ってくれるはずです。お祈りします。