ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。マルコ6章16節
今日から8月の平和祈念礼拝まで「平和」をテーマに聖書を見ます。ウクライナ侵攻について、特に私が心を痛めているのは、キリスト教のロシア正教会の最高指導者がこの侵攻を支持し、宗教的お墨付きを与えていることです。ロシア正教の司祭は兵士や戦車、ミサイルに聖水をふりかけ、祝福の祈りをし、軍隊を鼓舞しています。私たちもキリスト者としてこの戦争に対し無関係ではありません。宗教が戦争・平和にどのように関わるべきかをこの戦争からも痛感しています。
宗教は腐敗した権力と結びつくことによって腐敗し、平和を妥協するようになります。宗教の役割は戦争の芽に誰よりも早く気づき、平和を訴えることです。そのためには宗教が国家・行政の監視することが大事です。だからこそ、私たちはこの礼拝の中で平和について考えます。宗教が戦争に反対することは、戦争を防ぐための非常に効果的な方法なのです。私たちは平和に関わる責任と、平和への影響力があります。今日は地上の権力に目を注ぐ、平和を求めることを、聖書から聞きます。
ある日、ヘロデはお友達を読んで、誕生日パーティーをしていました。これはユダヤ版の「桜を見る会」です。権力の腐敗の象徴です。腐敗した権力者はパーティーでも、失言をします。そして自分の発言が間違っているとわかっていても、権力が弱まることを恐れ、決定を覆すことができません。ヘロデはパーティーを盛り上げるため、自分の失言・失敗を隠すため、自分の権力を守るためにヨハネを殺しました。
一方のヨハネは権力者にも間違いをはっきりと指摘できる、宗教者のモデルです。彼は権力者の間違えを告発し、民衆にそれを訴えていたのです。だからヨハネは権力者たちにとって都合が悪く、殺されたのです。このように権力者はお友達を優遇します。権力者は間違えを認めません。権力者は都合の悪い者を殺すのです。
ヘロデにとってイエス様の奇跡とは、自分の権力を危険にさらすことでした。その奇跡は権力への抵抗を含み、人々に勇気を与え、人々を目覚めさせ、権力に変革を起こすものだったのです。
私たちは今日の個所で、権力は必ず腐敗すること、権力は必ず人の命を踏みつけにしてゆくこと、そしてそれに反対をするのは、宗教の大切な役割だということを学びます。権力者がもっとも嫌がるのは、声を上げる宗教者なのです。権力者はヨハネもイエス様も殺すほど、口出しされるのが嫌なのです。だからこそ私たちの教会は平和への監視を続け、声をあげてゆきたいのです。それはもっとも権力者が恐れ、平和に向けて効果のあることなのです。
神様はヨハネ、イエス様、そして私たちを、平和のために、地上の権力に常に目を注ぎ、祈るように派遣しています。私たちは平和を大切にしましょう。この礼拝で平和を考え、訴えてゆきましょう。常に権力が平和の実現に向かっているかどうか目を注ぎ続けてゆきましょう。お祈りいたします。