「再発見、近所の教会」マルコ6章1節~6節

 

イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた

マルコによる福音書6章4節

 

5月・6月と聖書のたくさんの個所が「こひつじ食堂」と重なることを見てきました。教会は「こひつじ食堂」を始めて多くの人に身近に感じてもらえるようになりました。入りづらい教会でも、一度、内側に入り、互いに交流し、楽しいことがあれば、ぐっと身近になります。教会は地域の人にもっと身近に感じてもらうということが必要だったと気づきます。教会を身近に感じるということは、キリスト教を身近に感じてもらうこと、神様のことを身近に感じるということにつながるはずです。私たちの食堂では「布教活動」は一切しませんが、神様は身近にいる「インマヌエル(神は我々と共にいる)」ということを伝えることに、すでに一部で成功しているのではないでしょうか。神様を身近に感じることの大事さ、そのことは今日の個所にも書いてあると思います。

イエス様は故郷である小さな村ナザレに帰っていました。しかし誰もそんな場所からキリストが生まれるとは思いませんでした。人々は、キリストはもっと特別な人だと想像していました。そしてもし、キリストがいたとしても、自分なんかは決して近づくことができない、雲の上におられるはずだという思いました。ナザレの人々には神は身近なものではない、そんな思い込みがあったのです。地域の人はイエス様がキリストではない理由、出生、家系、職業を挙げ始めます。「お前は俺たちと変わらない、平凡な人間じゃないか」そう言ったです。ナザレの人々は、高き場所にいる神、手の届かない場所にいる神、人間とは姿かたちが全く違う神を想像していました。その神概念が信仰に入るのを妨げたのです。

しかし神様はそうではありませんでした。神様は平凡さ、普通、日常の中にいたのです。「祈ってごらんよわかるから」にあるように。「小川のほとりでも、ひとごみの中でも、広い世界のどこにいても、本当の神様は、今も生きておられる」とあるとおりです。神様は本当に近くに、身近におられるお方です。身近なところに神様の存在を発見してゆくことが大事なのです。地域の人々に伝えたいことは、あなたの身近に教会があるように、あなたの身近に神様がいるということです。

この教会の内側にいる私たちにも目を向けましょう。私たちこそ神様が身近な者です。しかし今日の個所によれば、身近な者こそ、神様を理解できなかったとあります。私たちも神様を信じられない者としてこの物語を聞きたいのです。そして神様は私たちと共にいるということを私たちも、もう一度発見したいのです。

私たちは地域の人にもっと神様、教会を身近に感じて欲しいと願って「こひつじ食堂」をしています。そして神様を身近に感じることは、私たちにとってこそ大事なことです。私たちこそ神様の身近さをもう一度見つめてゆきましょう。神様は私たちと共におられるお方です。お祈りします。