「命どぅ宝 ー基地はいらないー」マルコ5章1節~20節

イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。

マルコによる福音書5章8節

 

6月23日「命どぅ宝(ぬちどぅたから)の日」、沖縄・辺野古基地の事を考えます。戦争ではなく命を選ぶ、それが「命どぅ宝」の意味です。私はこの地上から基地が無くなることを願っています。普天間で基地を一個なくすと、辺野古に一個作らなければいのでしょうか?それならずっと基地はなくならないのです。今世界全体が軍事力の神話、狂気に取り憑かれています。「命どぅ宝」という言葉はそれを私たちに問いかけているのではないでしょうか。今日は聖書から平和について聞いてゆきたいと思います。戦争はいらない、基地はいらない。そのことを聖書から見てゆきたいと思います。

イスラエルは当時、ローマ帝国が支配していました。ローマ兵はたびたび、地域の住民、特に女性たちを傷つけました。ユダヤ人たちはいつも、ローマの占領軍にこの国から出て行って欲しいと思っていたのです。それは沖縄と同じです。激しい戦争があり、軍の基地が作られました。沖縄では米軍の起こす事件が絶えません。

2節の「汚れた霊」とはローマ帝国のことです。軍事力によって世界を支配することを、汚れた霊と呼んでいます。なぜそのような読み方ができるのか説明します。レギオンとは6000人の部隊を表す言葉です。ゲラサの近くに駐留していた「レギオン」は、ローマの10個目の軍隊、第十レギオンでした。第十レギオンのロゴマークは豚と船でした。つまりこの「レギオン」とは、ゲラサの近くに駐留していたローマ第十師団を指すのです。暗示されているのは、豚と船がロゴマークのローマ第十レギオンが、海に沈むように、去っていく、そのことを願うという意味です。そして軍事力こそ人を狂気にさせる力、「汚れた霊」だと譬えたのです。

イエス様に目を向けます。汚れた霊はイエス様に7節「かまわないでくれ」と言います。関心を持たないで欲しいということです。沖縄のレギオン・沖縄の軍隊からも同じ声が聞こえてきます。無関心の間に大きな基地を作るのです。イエス様はレギオンに対してはっきり言います「汚れた霊、この人から出て行け」。ここに基地はいらないとはっきりと言ったのです。

2000年後の人間も全く変わっていません。相変わらず人間は軍事力という汚れた霊に取りつかれています。基地、軍事力はこれからますます必要だという考えは、汚れた霊です。イエス様はその汚れた霊を追い出すお方です。この物語は軍事力による支配からの解放、軍事力神話からの解放の話なのです。この物語は、私たちは平和に生きよう、そのようなイエス様の導きが描かれた物語なのです。

私たちにはイエス様がいます。イエス様は軍事力と暴力と基地を、必ず無くしてくださいます。そのような世界が必ず来るのです。そのことに信頼してゆきたいのです。私たちもイエス様と一緒に汚れた霊に向けて「出て行け」と声を上げたいのです。沖縄と世界からすべての基地が無くなること、平和を祈ってゆきましょう。