イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。
マルコによる福音書3章3節
今日は創立記念礼拝です。72周年の時「こひつじ食堂」からの福音を聞いています。私たちはこの教会の中心である礼拝堂で、食堂をしています。こどもを隅に追いやらず、中心にしてゆく教会、そのことがよく表されている風景です。ママやパパにとってはこどもから少し目を離すことができる、安息の時です。一人で来た人も、いつの間にか誰かと相席になって、話が弾んでいます。創立記念礼拝の時、教会の真ん中に何があるかを考えます。「こひつじ食堂」から見る時、教会の中心にはこどもや、子育てが大変な人がいます。一人で食事をする人がいます。教会はそんな人を教会の中心に招きます。今日は聖書からイエス様が社会で隅に追いやられてしまう人を中心に招いたことを見たいと思います。
今日の個所で会堂の人々は悪意を持っていました。イエス様が安息日という戒律と、癒しのどちらを取るのか、手の不自由な人を使って、見てやろうとしていたのです。悲しいことに、人々は手の不自由な人への同情は一切ありません。人々の心は、そのような冷たい心、かたくなな心、硬い心でした。
しかしそこにイエス様が現れます。そしてイエス様は3節で言います「真ん中に立ちなさい!」。イエス様はその人を立ち上がらせ、堂々と真ん中に立つように招くのです。この招きはどれほど、うれしかったでしょうか。それはまず彼の魂の傷を癒したはずです。傷つけられた尊厳、人格を回復する呼びかけでした。その言葉をかけられた時、彼には安息が訪れたのです。
4節は「魂を守る日か殺す日か」という二者択一です。何もしないという選択肢はありません。何もしないことは魂を殺すのと同じです。しかし4節の後半、それでも人々は黙っていました。5節でイエス様は悲しんだとあります。そのかたくなさに激しく怒り、悲しんだのです。そしてその時、奇跡が起きました。イエス様が「手を伸ばしなさい」と言うと、手から不自由さが無くなったのです。
今日、私たちの教会は何を、誰を中心にするかが問われています。私たちは社会の隅に追いやられてしまいそうな人を大切にしてゆきましょう。特に私たちは今、こどもに強い関心を持っています。こどもたち、そしてその周りにいる人、さみしいと感じている人を教会の中心に招いてゆきましょう。
神様は私たちに奇跡をお越してくださるお方です。私たちのかたくなな心に「伸ばしなさい」と呼びかけて下さいます。聖書の言葉によって、私のかたくなな心がほどかれて、柔らかくなるように、呼びかけて下さるのです。
神様は、弱き私たちを、中心へと招いてくださるお方です。隅に追いやられ、寂しい思いをしている人を中心に招いてくださるお方です。そして私たちのかたくなな心をまっすぐに伸ばしてくだるお方です。私たちはこれからも主イエスを教会の中心として、たくさんの方々を中心に招いてゆきましょう。お祈りします。