すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 マタイ15章17節
平和というテーマで聖書を読んでいます。ミャンマーでは2月にクーデターが起こり、軍事政権に逆戻りしてしまいました。ミャンマーは独立する際、軍の影響力が強く、そのため長く軍事政権が続きました。軍によって成立した国は結局、軍によって支配されました。そして軍は独立以来、ずっと少数民族を弾圧しました。
先日のミャンマーを覚える祈り会では「軍の国民に対する暴力はデモ以前からずっと行われてきた。軍の抑圧の対象が、少数民族から、民主化を求める人々に変わっただけなのだ」と分かち合われました。軍による独立と支配、それは平和のように見えたかもしれません。でも軍の暴力は独立後からずっと続いていたのです。
しかし、このような状況の中でもミャンマーには希望の光があります。それはミャンマーの人々が平和をあきらめていないということです。人々は暴力ではなく、CDM(Civil Disobedience Movement)市民的不服従運動という運動で新しい国を作ろうとしています。軍の支配に対して服従しないということをデモや職場のボイコット、鍋をたたく、指を三本立てるということによって表明しています。
デモ参加者の多くは仏教を信仰している人々ですが、私はキリストの平和と多くの共通点を感じています。イエス様も暴力によって問題を解決しようとしなったお方だったからです。ミャンマーはイエス様と同じ非暴力で抵抗しています。だからこそミャンマーの平和のために活動する人々を祈りたいと思っています。
今日の聖書箇所を読みましょう。偽預言者はその共同体全体を間違った方向に導きす。支配し、偽りの平和を語ります。私たちはそれを実によって見極めることができます。実とは命と尊厳です。命と尊厳が守られているか、はぐくまれているかによって、偽物を見極めることができます。よい木は人を生かすのです。軍は悪い木です。悪い実をつけています。
そしてイエス様は神の子羊と呼ばれた、平和の象徴であるお方でした。イエス様は軍隊を率いず、愛による、非暴力運動に人々を従えた人でした。私たちもこの羊に連なりたいのです。そしてイエス様こそ不法を働く者といって、十字架にかけられ、殺されたお方です。私たちは主イエスからいただく命の尊厳に立つとき、国の決定に逆らい、不法を働く者と呼ばれることがあります。しかしそこで私たちは本当の不法な者が誰であるのかを見極めたいのです。私たちの教会も偽預言者に騙されてないようしましょう。命と尊厳が守られているかどうかによって判断してゆきましょう。神様は本当の不法を犯すものに離れされと語ります。
平和は軍事力ではなく非暴力の運動によって実現されるはずです。神様にある、本当の不法への不服従運動によって実現されるはずです。それはよい実、命と尊厳によって見極めることができるはずです。教会、ミャンマー、世界で、非暴力による平和、不法への不服従、軍事力への不服従が起きるように共に祈りましょう。