「性を分け隔てない神」マタイによる福音書27章55節~56節

またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。

マタイによる福音書27章55節

 

私たちは今月ジェンダーとセクシャルマイノリティーについて考え、聖書に聞いてゆこうと思います。神様は性による差別をしないお方、そして性的少数者も大切にするお方ということを聖書から考えます。1回目の今日は、神様は男女の役割を分ける方ではなく、すべての性の人々を招き、主とお互いに、尊重し合い歩むように促しているということを見てゆきます。

教会は男女の役割分担を当たり前のこととして受け止めていました。しかし私たちは男らしさ、女らしさよりも、その人らしさを大切にした方がいいということに気づき始めました。週報で男女分けないことが始まりました。

神様は性を分け隔てせずに、招いておられるお方です。神様は性別で役割を決めるお方ではありません。神様はすべての人が従い、互いに仕えあうことを求めています。今日そのことを聖書からいただきたいのです。

今日の個所では55節「イエスに従って来て世話をしていた」女性たちが記録されています。この個所にある「世話をする」は信仰的に「仕える」という意味を持つ言葉です。しかし女性が主語になる個所で「世話をする」とか「もてなす」という言葉として訳されてしまいました。女性なら食事当番、男性ならイエスに仕えると訳し分けてしまっているのです。そんな無意識な男女差別、男女の役割分担、ジェンダー差別がこの翻訳には表れてしまったのです。この個所は教会に男女の役割分担を改めて考えさせる個所です。

3人はイエス様にガリラヤから最期の十字架まで、初めから終わりまで従った弟子でした。これ以外にも初期の教会にはたくさんの女性のリーダーがいたでしょう。

神様は性の分け隔てなく私たちを招かれるお方です。性別によって役割を分けるのではなく、男女やあらゆる性に向けて、分け隔てなく招きを下さっている方です。すべての人に従いなさい。すべての人に仕えなさいとおっしゃっているお方です。でも時に私たちは男女に分けてしまいがちです。

私たちの教会や社会や生活にもそのような出来事が多く残っているでしょう。社会・教会・生活に性別による格差がなくなるように願います。神様の福音はすべての性の人に与えられ、すべての人が仕えることに招かれています。その主に共に仕えてゆきましょう。

この後、オンラインの主の晩餐の時を持ちます。今日はすべての人がこの主の晩餐に招かれています。共にいただきましょう。そして主イエスが私たちパンを配って、仕えて下さったように、私たちも互いに仕えましょう。