「協力に招く神」マタイ4章18節~25節

 

そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼(バプテスマ)を受けるためである。マタイ3章13節

 

私たちは今月、協力伝道をきっかけに聖書を読んでいます。近年多くの教会で、少子高齢化や財政の縮小などが起こり、これまでの方針の転換が迫られています。さらにコロナ禍もこのような時に起こりました。今、各教会は未来を模索しています。しかしこの問いに答えてゆくためには、自分の教会だけを見ていては答えがでません。各教会が互いに学びあい、祈りあうことで答えが出るはずです。これからの連盟・教会は支援する側とされる側に分かれるのではなく、教会同士の相互関係が大切にされてゆくでしょう。

そして教会自体も助ける側、教える側、救う側だけにいるのではありません。教会は地域の人々とも、助け合い、互いに学びあい、祈り会う相互関係になってゆくでしょう。そしてその時大事にしたいのは、小さいものからよく学ぶということです。神様は私たちを、そのような相互関係に招いてくださるお方です。小さき者との出会いに招いておられるお方です。今日の聖書の個所もそのようなことが語られていると思います。

「人間を取る漁師にしよう」という言葉は信者獲得の合言葉として理解されてきたかもしれません。それはまるで、とる側、取られる側に人を分ける言葉のように聞こえます。しかしこの言葉はイエスの「招き」を表している言葉です。ペテロの歩みが、このイエスの招きによって始まったということです。イエスが一方的にペテロを選んだのです。これが神様の招きです。

そしてペテロは一人でイエスに従ったのではありません。共にイエスの話を聞き、共にイエスから逃げ出し、そして共に十字架を見る仲間が与えられました。そして弟子たちの関係は、誰かが教え、誰かが助けるという一方的な関係ではありませんでした。主にある相互関係がここからスタートしたのです。その関係は共に助け合い、共に学びあい、共に祈り会う関係でした。そのような仲間が主によって与えられたのです。それは私たちも同じです。

イエス様に目を向けましょう。イエス様の活動は福音を宣べ伝えること、そして苦しみと思い煩いを持つ人々に会いにでかける活動でした。これが教会の在り方ではないでしょうか。私たちはイエス様に招かれ従います。そして神様は仲間を与えられます。私たちは様々な苦しみをもった人々に出会いにでかけるのです。そして共にイエス様に出会い、ともに礼拝をするのです。

私たちの連盟も、教会も、一人一人もこのようにありたいと願います。私たちは主イエスに招かれています。私たちには主イエスによって、仲間が与えられています。助け合い、学びあい、祈り会う仲間となりましょう。私たちは福音を聞き、苦しむ人、患いを覚える人に出会いに行きましょう。