イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」 マタイ3章15節
今月私たちは協力伝道という事をきっかけに福音を考えています。私は6年前に大井バプテスト教会から西南学院大学の神学部に入学をするとき、「必ずビックになって帰ってきます」と言って、教会を出たらしいのです。しかし神学校で教えられ、学び、気づいたのは真逆の事でした。学べば学ぶほど、小さい命に目を向ける神様の働きを知るようになりました。ビックになるという目標は、小さくあり続けようという目標に変えられました。そして小さき者として、小さいことに目を向け、小さい者同士として共に歩むという目標に変えられました。それは今でも続けたい目標です。今日の聖書からも、神様は小ささを大事にするお方だということを私は知ります。
今日の聖書個所を見てゆきましょう。様々な地域から多くの人がバプテスマのヨハネの「悔い改めよ」という呼びかけに応え、洗礼を受けていました。おそらく多くの人々が集い、列になっていたでしょう。イエス様もきっとその列に並んでいたのです。他の人と同じように、悔い改める人々の列に並びました。
私はそこに、へりくだる神の姿があると感じます。これは神がどこにいるのかをよく指し示している物語です。神は大きく、強く、勢力を拡大する場所に共にいるのではありません。神様は小さな人間たちが、悔い改めて列に並ぶその場所にいたのです。それは自分の小ささを知り、それを告白する人々の列でした。小さくされた人を大事にしようとする列でした。そしてそのような小さい者に、神の愛が注がれているということ信じる者の列でした。神様はそれを見逃さず、その列に共に並んでくださったのです。そこに共にいて下さる神がいます。
イエス様にとってそれが「正しい」ことでした。自分を大きな者とせず、へりくだり、小さい者、弱い者として人々と共に歩んでゆくことです。それが神様にとっての正しさなのです
今この時、私たちは小さくいたいのです。コロナに振り回される弱い私、神の助けが必要な私を見つけたいのです。ピンチをチャンスに変えるのではなく、ピンチに共にいて下さる神様を見つけたいのです。そして私たちは小さくされている人々にも目を向けたいのです。コロナに振り回される人々を祈りたいのです。私は協力伝道の中で、神学教育の中でそれを教えられ、知りました。
小さき者が小さき者と共に生きる歩みが、多くの人々に起こされていくことを願っています。お祈りましょう。
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