「平和の食べ物」 ヨハネ6章22節~27節

 聖書のいう平和、それは単に戦争のない状態をいうのではありません。平和とはヘブライ語でシャロームです。シャロームとは丸です。完全な丸が平和の状態です。しかし世界は今、大きく歪んでいます。戦争だけではなく、構造として世界は大きなゆがみを抱えています。格差や差別が世界中に起こり、美しい〇を描くはずの世界は歪みだらけです。

 そのような世界でシャロームとは、図のように、高い場所と低い場所が均等になり、きれいな丸になってゆくことです。押し込められ、低くされている場所には十字架があります。イエス様の力は、低くされたその一番下から元に戻そうと働きです。その動き・運動がシャロームです。小さくされた人に神様の力が働くことによって、すべての人々が等しく豊かに生きる事、それが聖書の平和・シャロームです。

 日本は80年前、世界のシャローム・平和を大きく壊しました。日本は自分たちの繁栄だけを求めて、アジアに進出・侵略し、大きな憎しみと侮辱と絶望をもたらしました。しかし世界は、日本はまた自国優先主義へと向かおうとしています。

 今日の聖書個所を読みましょう。人間のパンへの願い、食べ物への願いはバランスを崩しやすいものです。人々の中には「あの人はパンをくれる」と欲望のまなざしを向ける人がいたのです。自分だけの繁栄や自分だけの欲望を満たすことは平和、シャロームを生み出すことではありません。そのように舟を出す姿は、日本がアジアに侵略戦争として舟を出すのと同じ発想です。誰かを犠牲にして、押し込めてそれを得ようとするとき、自分だけ繁栄をしようとするとき、それは絶対に平和を生みません。そのように食べ物を求める時、繁栄を求める時、そこに起こるのは戦争と貧困と格差と差別です。

 私は平和を求めつつ、パンを求めてゆきたいと願うのです。それこそがパンではなくイエス・キリストを探すということではないでしょうか。イエス様は命と食べ物を自分のものにするだけではなく、天からのものとして分かち合いなさいと教えてくれるのです。私たちが求めるもの、それはそのように恵みと感謝を呼び起こす食べ物です。平和の食べ物です。

 自分の食べ物を追いかけるのではなく、イエス・キリストの姿を、生き方を追いかけなさい、それが永遠の命に至る道であり、それが平和を作り出すのだというのです。私たちそれぞれ、イエス様から今日、永遠に朽ちないパンを私たちの心にいただきましょう。私たちは世界の平和・シャロームを願ってイエス様のパンを食べましょう。そして永遠の命を頂きましょう。