クリスマスに向けた礼拝では教会のみんなの一体感を感じます。みんながろうそくの火一点に目を留めるからです。とても小さなあかりですが、全員がこの光を見つめます。そこで気づくのは、私たちがこの小さい光を囲む一つの集まりだということです。私たちは光を中心にする仲間です。
もちろんその光とはイエス・キリストを指します。私たちはイエス・キリストを中心にする集まりです。私たちの礼拝は、特にこのアドベントの期間、光を囲む礼拝です。光であるイエス様の誕生を待ち望みつつ、それを中心にして礼拝をするのです。光であり、中心におられるキリストを覚えてアドベントを過ごしたいのです。
今日の聖書個所はすべての福音書に記載がありますが、ヨハネ福音書の特徴・表現があります。それは「エルサレムのユダヤ人たち」という存在です。ヨハネ福音書はユダヤ人からの迫害の中で書かれた福音書です。この福音書の時代、身近にうまくいっていない関係にある人がいます。その相手が登場しながら福音が語られるのです。
ヨハネは「あなた方の中には、あなた方の知らない方がおられる」と言います。敵対者に向けてイエス様を迫害する人に向けて、救い主であるイエス様は、あなた達の中にいる、この真ん中にいるというのです。あなた方とは、迫害をする、敵対関係にあって、身元の確認にきている、乱暴な言葉遣いの人々です。その人々に向かって、あなた方の真ん中に救い主イエス・キリストはいるというのです。
イエス様はどこにおられる方なのでしょうか。それはここを読むならば、それは、私たちが嫌だなと思う相手、その真ん中です。自分に敵意をもって、乱暴に接し、自分を困らせたり、イライラさせたりする相手、そのまん中にイエス様がいるという事です。洗礼者ヨハネはそう証ししています。つまりそれは敵と思える人の中にこそ神がいるということです。
そして、あなた方の知らない方がおられるとあります。その人たちも自身の中心にイエス様がいることに気付いていないかもしれません。たとえそうだとしても、確かにその中にイエス様はおられるのです。だからこそ私たちは難しい相手でも、共に生きようとする者にされるのです。
イエス様は、私たち一人ひとりとうまくいかない、敵対する、迫害する、あの人たちの中にいます。その真ん中にイエス様がおられるのです。そしてイエス様はこのろうそくの光のように、私たちの真ん中にもおられる方です。礼拝の真ん中にはイエス様がおられます。それぞれの教会の奉仕の真ん中もイエス様です。私達の中心も、すべての人の中心にイエス様がおられます。そのことを忘れないでいたい。そのことを知るものでいたいのです。あの人の真ん中に、私の真ん中に、教会の真ん中にイエス様がおられるのです。このクリスマス、そのことを知る時としたいのです。