教会は時代によって、様々に変化をしてゆくものです。変化にとまどうこともあるかもしれませんが、変わらないものもたくさんあります。それは神様を礼拝することです。そして天に召された方を覚え続けるということも、教会が2000年間ずっと大切にしてきたことです。教会はどんなに社会が変わろうとも、神様を礼拝すること、召天者を覚える事において変わりません。
神様は召天された方々に、どのように関わって下さるのでしょうか。そして私たちと召天された方々はどのような関係にあるのでしょうか。本日の聖書個所には神様と天に召された方たちの関係、そしてもちろん神様と私達との関係が書かれています。このみ言葉に聞いてゆきたいのです。
3章16節によれば、神様はこの世を愛して下さるお方です。世とはこの地上、世界、全人類、全生命の事です。世界はめまぐるしく変わります。皆さんも変わります。しかし相変わらず人は不完全で、欠点の多い者で、失敗をします。それは召天された方も、私達も同じでした。神様が大切にして下さるように、お互いを、自分自身を大切にすることが出来ない時がありました。
にもかかわらず、神様は私たちを愛して下さいます。神様はたとえ人間がどんなに不完全でも愛して下さるお方です。それが世を愛する神様です。だからこそ、私たちの生き方が変わります。愛せない他者を愛そう、愛せない自分を愛そうという生き方に変わるのです。それが変えられるということです。そして神様は天に召された後も永遠に愛し続けて下さるお方です。
3章16節によれば、神様は独り子イエス・キリストを与えて下さるお方です。その方は全人類に与えられています。地上に生きているかどうかも超え、神様は天に召された方々のためにも、イエス様をお与えになりました。天に召された方たちと私たちは、共に神様からイエス様をいただく仲間です。
神様は、この私たちをなぜ愛し、大切にされるのでしょうか。それは永遠の命を得させるためとあります。永遠とは変わらずに貫かれてきた神様の愛のことです。「永遠の命」とは変わらない神様の愛の中にある命です。時代は変わる、世界は変わる、お互いは変わる、教会も変わる。でも変わらないものがある。神様がずっと変わらずに大切にしてきたものがある。変わらないものの中に生きる事、神様の中に生きること、それが永遠の命です。すでに召天された方々も同じです。変わらない神様の愛の中に生きているのです。神様の永遠の中で生きるのです。
すでに召天された方と私たちは、共に神様の永遠の中に生きる者です。私たちは地上の生命の有無にかかわらず、神の永遠の愛の中を共に生きるのです。私たちは共に神の愛に、共に神の永遠の中に生きる者なのです。
今日、召天された方を覚えます。そして、自分に残された時を覚えます。地上の生に関わらず、私たちは神の愛を永遠を共に生きる者です。永遠を共に生きたいと願う者なのです。