「世界と分かち合う」ルカによる福音書16章19節―31節

世界の栄養不足人口は増加しています。地球に暮らす9人に1人が、栄養 不足です。原因は紛争や気候変動など様々です。しかし現在の世界では食料 が不足している訳ではありません。豊かな国はごちそうを好きなだけ食べ、 貧しい国は最低限の食事さえ欠くという、偏りが飢餓の根本的な原因です。 その中で日本は食糧廃棄大国です。日本が捨てている食材は年間600万ト ン。世界が貧しい国に支援をしている、倍の量を毎年捨てています。
世界は二極化しています。貧しくて飢える者と、豊かで有り余る者の差が 広がっています。それは日本でも平塚でも起きています。私たちはその隔て と境界線をなくしたいのです。余ることのない、不足する事の無い社会を目 指したいのです。小さくても私達に出来る事から始めたいのです。
今日の聖書の話、これもたとえ話です。死後の世界の話ではありません。 今をどう生きるかという話です。金持ちは毎日、パンを落としながら食べました。これは食糧廃棄問題です。金持ちは自分の家の門の前で、毎日食べ物 のない男とすれ違い、存在を知っていました。目の前の困った人にパンを分 かち合う責任があったはずにもかかわらず、無視を続けました。
この聖書で登場する、金持ちとは一体誰のことでしょうか。それは私たち です。私たちは金持ちの国に住み、食糧を捨てています。世界に飢えている 人がいることを知っていても無視し、なにも行動を起こさないのです。一方 のラザロは食べ残しでもいいと願っても、それすらかないませんでした。ラ ザロもまた私たちのことです。世界を変えたい、状況を変えたいと思っても、 その圧倒的な力の差を変える力を持っていないのです。私たちは金持ちのように、他者を無視する存在であり、またラザロのように、状況を変える事が できず、ただ神の力を求める存在です。
物語の後半で金持ちは、奇跡を起こし、地上の家族に警告してほしいと頼 みます。しかしアブラハムはその願いを断ります。奇跡は無駄だと答えるの です。律法と預言者たちの言葉、つまり聖書を読んでも変わらないなら、たとえ奇跡を起こしても人は変わらないのだと言うのです。
この物語は世界を変えるものは何かということを、伝えています。それは 奇跡ではありません。人を変えるのは奇跡ではなく、聖書、み言葉なのです。 私たちはみ言葉によって変えられ、突き動かされます。神のみ言葉を聞いて 行動を始めるのです。それが少しずつ世界を変えるのです。神の言葉に突き 動かされる私たちが世界を変えるのです。
私たちの間には、取り払うことが出来ない境界線、解消することができない格差があります。しかし、それはみ言葉によって解消されます。み言葉は 隔ての壁を壊し、絶望的な格差を公平にし、世界を一つにする力を私たちに 与えて下さるのです。この小さい私は何ができるでしょうか。でも小さなことが世界を変えます。教会はこのみ言葉に信頼し、行動を起こしたいのです。