「不当な税率」ルカによる福音書16章1節-13節
私たちの信仰告白には、聖書は神の霊感を受けて書かれたとあります。聖書は聖霊を受けた人間によって書かれたのです。人間はなんとか神様の出来事を言葉にしようと苦労しました。限界のある中で自分の信仰を言葉にしました。時には書き間違えたり、難しい個所にはわかりやすいように自分の言葉を付け加えたり、一人ひとり違う視点で出来事を記しました。
今日の個所も、おそらく元々8節前半までがイエス様の言葉です。そして8節の後半からは弟子がこの言葉をどのように受け止め、理解したのかが書かれています。しかも8節後半に対して9節、9節に対して10節というように言葉が積み重ねられていったのでしょう。神の霊感を受けた人々が、イエス様の言葉を何とか理解しようと苦戦した跡がここに残されています。
日本では10月1日から消費税が10%になりました。実質賃金が上がらないのに、消費税が上がり、生活は苦しくなっています。消費税は結局貧しい人が困る税制です。政治には、ぜひ貧しい人にもっとお金を使って欲しいと願います。税率が8%になった後、社会保障費は増えませんでした。その分は法人税の減税にあてられ、大企業の利益のために使われました。私にとっては不当な税率です。どうか大企業の優遇のためではなく、小さき者ためにお金を使って欲しい。貧しい人、困っている人に、子どもに、けちけちしないで、もっとお金ばらまいてほしいと思います。このような聖書観、世界観の中で、私たちはこのたとえ話をどう理解するのでしょうか。
このたとえの中で一番不正をしているのは、金持ちです。当時金持ちは法外な高い利率で食べ物を貸し付けていました。弟子たちも貧しい人の集まりでしたからこの話を、借金をしている者の立場になって聞いたはずです。想像を働かせるなら、この管理人は普段から借金で困っている人に心を痛め、利子を勝手に書き換えていたのかもしれません。あまりにも金利が高いから、勝手に書き換えて、不正に利子を下げて、貧しい人を守っていたのです。彼の不正、それは搾取されたお金を勝手に庶民にばらまくことでした。それは金持ちからすれば当然不正です。だから不正な管理人なのです。
しかしイエス様はこの管理人を誉めました。それはお金は貧しい人のために使えということ、不正に集められた富を、そのまま集めた人に遣わせるなということです。不正に集められた富は困っている人にばらまこう。それが神様が喜ばれることだというのがイエス様のメッセージなのではないでしょうか。イエス様は不正に集められた富を、しっかりと困った人に分配してくれる人を信頼し、誉めます。金持ちに忠実に借金を集めるのではなく、神に忠実に貧しい人に分配する、その管理人をイエス様は信頼されるのです。
私たちの世界でもそれが起こるように切に望みます。そしてこのあと主の晩餐を行います。私たちはひとつのパンを等しく分かち合い、共に生きる事を覚えます。その神の促しを覚えて、この時をいただきましょう