私たちの身近にはたくさんの不公平があります。私がそれを強く感じるのは外国人の権利、とりわけ外国人技能実習制度についてです。この技能実習制度は人権侵害の温床になり、現代の奴隷制度とさえ呼ばれます。たとえば、ある農業(野菜の収穫)の実習のケースです。彼の給料は月5万円。残業は時給300円です。休日は無く、毎日10時間以上の労働、外出禁止、携帯電話の所有禁止、外部との接触禁止、パスポートの取り上げなどが行われていました。日本の法律や、人権を守るすべを知らないまま数年間、物のように扱われ、酷使され、自分の国へと帰っていきます。
これは私たちに身近な、不公平です。不公平な、安い労働力によって、安い野菜や服が作られています。そしてそれは私たちが安く買っているのです。彼らのうめき声が聞こえています。彼らは守られず、酷使され、捨てられてゆくのです。このような不公平は、必ず敵意を生み出します。
今、外国人のシャロームを願って、キリスト教の中でこの問題に関わる人が増えています。そして外国人である彼らが、社会の歪みを私たちによく教えてくれるのです。外国人が私たちをシャロームにしてくれるのです。
聖書によればイスラエルの人々はかつてエジプトで、奴隷であり、外国人労働者でした。彼らは休みなく、苛酷な労働を強いられて、酷使されました。ファラオは彼らを安い労働力として徹底的に使い捨てにしようとします。そして自分にとって都合の良い労働力だけを、生きてよい存在としました。
彼らはその苦しみの中でうめき声をあげていました。仕事がきつい。ただの労働力としてしか見られないという公平を願う叫びが起きました。今の日本で技能実習生から聞こえる叫びと同じです。
神様はその叫びを必ず聞き、痛みをよく知って下さるお方です。神様はそのような民に深く心を寄せます。神様は不当な重労働と、人権侵害を放っておかれません。必ず解放するお方です。神様はシャロームを実現されるお方です。社会の中で押し込められた部分を押し上げ、高い部分を低くするお方です。神様はシャロームの逆転現象を起こしてくださるのです。苦難を負う人々の叫ぶ声を、神様は必ず聞いておられます。
だからこそ私たちもその苦難の叫びに耳を傾けてゆきたいのです。そして神様に向けて苦難の中にある人と一緒に叫びたいのです。神が心を寄せる人々と一緒に、神が語りかける外国人の彼らと一緒に福音を聞きたいのです。寄留者である彼らの側、彼らから福音を聞きたいのです。
外国人がシャロームになるということは、彼らだけではなく、多くの生活困窮者にシャロームを広げてゆくことになります。シャロームの体験は、その後に自分達の身近な、日常のシャロームにむけて広がってゆくのです。
私たちはシャロームの丸の歪んだ底にある苦難、十字架から世界を見たいのです。シャロームはそこから世界に広がるのです。