中学3年生の時にバプテスマを受けてから5つの教会で教会生活を送り、55年になりました。年数的にはとても長いですが、山あり谷あり、不信仰の時代も長くあり、主の導きなしにはここまで来られませんでした。
平塚教会では、どのような奉仕をしたらいいのだろう、何が出来るかしらと模索しながら、今までやってきました。いろいろな奉仕をさせてくださってありがとうございました。奉仕によって証しが出来なければいけないのですが、逆に他人を傷つける結果になったこともあり、申し訳なく思い、悔い改めております。
私にとって、一番の楽しい奉仕は聖歌隊で賛美することでした。良き指導者、リーダーが与えられ、この10年でとてもすばらしい、ちょっと自慢したくなる聖歌隊へと成長しました。そのメンバーの一人であることを誇りに思います。(中略)
さて、3月で平塚での働きを終え、4月からZ教会での新しい歩みが始まります。昨年3月、平塚での働きを終えると決めて以来、いろいろな思い、葛藤がありました。私はすべてのことは主の御手のうちにあり、主の導きに従って生きてきたつもりでした。不安定なことはあってもあまり不安はありませんでした。あんまり深く考えないたちですから。ところが、断捨離をしなくてはいけない、終の棲家を持ちたい、その後の諸手続き、老後のことなどなど。さらに娘たちの厳しい意見や助言、いつのまにかどうしよう!不安が頭をもたげてきました。私のいつもの信仰はどうなったの?「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6:34)「すると主は『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。』と言われました。」(Ⅱコリント12:9)の御言葉を思い出しました。ただまっすぐ前に向かって歩いて行けばよいのだと。(後略