救いの業の完成者であるイエス・キリストは、人々の苦しみと痛みへの共感から、本格的な宣教活動に入られた。主イエスは貧しく、疲れ果てた群衆といつも共におられた。ファリサイ派の人々や律法学者たち、正業について規則正しい生活を送る敬虔なユダヤ人たちからは軽蔑と怒りと非難の視線を受け続けていた。しかし、疲れ果てた群衆と共にいることによって、彼らがいかに「弱り果て、打ちひしがれているか」(9:36)をご自分の目と肌で感じ取り、胃が痛くなるほどの共感を覚えられた。「深く憐れまれた」(9:36)と訳されているが、岩波訳では「はらわたがちぎれる想いに駆られた」と訳されている。「断腸の想い」である。そこで主イエスは12人の弟子を選び、ご自分の協力者として彼らを派遣する。やむにやまれぬ内からの突き上げとして宣教活動を開始されるのである。主イエスは、苦しむ民と共におられ、その痛みをご自分のものとされることを身をもって私たちに示されている。
私たちにとっても苦しむ人々の痛みの共感こそ、福音宣教の力である。痛みの共感があったとき初めて、仕事だからとか、決まりだからとか、あるいはタテマエとしてではなく、本気で主のみ業に協力したいという思いに駆られるものである。それは神と主イエス・キリストが抱いておられる痛みの共感に参与することなのである。その意味で、痛みの共感は恵みでもある。この恵みは、苦しみと痛みのさなかにある人々と立場を共にすることなしには、決して与えられることはないだろう。
ある本の中で、次のようなことが紹介されていた。ある宣教師の奥様がご主人を突然の交通事故で亡くすということが起こった。残念ながら、一番慰めにならなかったのが教会のクリスチャンの言葉だったと書かれている。それは、「ご主人の出来事は、すべて神様の御手の中にあるのだから悲しまないで」とか、「あなたのご主人がこういうかたちになったのは、あなたのお子さんが主に立ち返るためだった」というもので、この方をとても傷つけたそうだ。
では、この宣教師夫人に対して一番の励ましになったのは誰だったか。残念ながら、教会のクリスチャンでなくて、近所の八百屋のおじさんだった。ある日、袋いっぱいの野菜や果物を持ってきて、目に涙をいっぱいためながら、「こんなことが起こったら、奥さんもおちおち外出する気になんかなれないでしょう。たいしたことはできないけれど、家にあるもの持ってきたからこれでも食べなよ」と言って帰っていった。
また、次のような話も書いてあった。長い間、結婚生活で苦しんでおられた方が、その悩みをカウンセラーに打ち明けたそうだ。ところが、そのカウンセラーは、「ご主人様にも、いろいろな言い分があるのでは……」と逆に諭すように話してしまった。その方は、カウンセラーに「出て行ってください!」と叫んで、ひとりで部屋に閉じこもってしまわれた。ずいぶん後で彼女は、「『辛かったですね』のひとことだけで、私は良かったの」と言われたそうである。
私はこれらの話を読んで、本当に共感する、その状態を受け入れて共にある、共にいることの大切さ、素晴らしさを覚えると共に難しさも教えられた。確かにそれは難しい面もあるが、しかし、まるっきりできないことでもなさそうだ。大それたことを考えなくても、私たちの周りには、実に多くの悲しみの中にある人々、苦しみの中にある人々、癒されず慰めを求めている人々、さびしい思いをしている人々が大勢おられる。共にいる、共に歩むことなら出来そうである。いや、すでに行っている。礼拝は共に神の前で賛美し、祈り、み言葉をいただく。祈祷会は共に祈る。教会学校は共に学び分かち合う。「みんなのカフェ」は共にお茶やコーヒーを飲む。「サロン虹」は高齢者の方々と共に食事をしおしゃべりする。「手芸の会」は共に手を動かし、口も動かす。子育てサロン「こひつじひろば」は共に子どもをも見守る。どれも共にいる、共に歩む。それは平塚パトロールの野宿者の見回り、炊き出しの食事、シェルターの働き、様々な生活弱者、生活困窮者の相談や支援活動もその延長線上にあり、本質的には同じ共にいる、共に歩む働きだと考えている。
今日話したことが全てではない。いろいろな段階に応じた適切な支援、援助があると思う。しかし、やはり最初は共にいる、そして共感していく。そのためにはそこへ降っていく、共に悲しみ、共に涙を流し、ともに祈り、そしてそこで何をなすべきかを知らされていく。その知らされたことをできるところから始めていけばいいのではないだろうか。痛みの共感から始まる。そのためにも共にいる、共に歩む働きは教会にとって大事にしたいことではないだろうか。