私は以前の教師時代、そして今の牧師という仕事柄、相談を受けることが多いのだが、いつもこちらが悩んでしまう。情報提供して、当事者が自ら道を選び前へ進んでいってくれればいいのだが、そういうケースは少ない。話を聞いてあげるだけで済む時もまれにあるが、それは本人がすでに答えを持っていて、ただ誰かに確認してもらいたいだけだったりする。
そんな難しい人生相談について、加藤諦三さん(早稲田大学名誉教授)が朝日新聞(2018年1月30日)で語られている言葉に教えられた。彼は、「悩みというのは『変装』が上手なのです。多くの場合、相談者の真の問題は、本人が考える悩みの背後に隠されています」と言われる。その事例として、女性から「子ども夫婦の仲が悪くて心配」という相談を紹介。これを申告通り受け取ってはいけないと言われる。「なぜそれが悩みなのか」と問いを立て話を聞くと、実は相談者の心を本当に悩ます問題は「老後への不安」だったと言うのです。なるほど、そういうことかと、今までの相談事を思い浮かべながら納得した。
さらに朝日新聞2月8日夕刊の「歌舞伎町・駆け込み寺をたどって」にも人生相談の記事。駆け込み寺所長の中島一茂さんの話から。「死にたい」と言い出したらどう対応するか。「生きていれば、いいことあるよ」とか「命を粗末にしてはいけない」などと当たり前の返事は相談者の心には響かず、かえって反発を招く、という。初めから「死にたい」などと切り出す人は、相手が信用に足りるかどうか「ジャブを放っている」場合が多いという。ではどうするか。まず真摯に受け止める。それから、どう解決したものか相談者を主体に考える、と言われる。
私も「死にたい」という相談を何度も受けたことがあるので、中島さんの言われることはよくわかる。加藤さんの「背後に隠されている」と合わせて考えると、「死」そのものではなく「生」の問題が背後にあり、そのことの解決を共に考えていくことになる。その後は、本人自身が決断し、歩みだすのだが、伴走が必要なことが多い。苦労は多いが共に生きることの喜びを体験する時だ。