袴田事件は冤罪(えんざい・無実の罪)事件である。袴田事件とは、1966年6月30日未明、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌会社専務一家4人が殺され、放火された事件。当時会社の従業員であった袴田巌さんが逮捕され、拷問を伴う長時間の取り調べにより、自白を強要され起訴される。
袴田さんは一貫して無罪を訴えたが、1968年静岡地裁で死刑判決、1980年最高裁で死刑が確定。それ以降、再審を求め続け、遂に2014年3月27日、静岡地裁は再審再開を決定。その内容は「証拠はねつ造」「これ以上の拘置は正義に反する」という画期的なものだった。この日、袴田さんは獄中48年目にして東京拘置所から解放された。テレビなどで報道されたのでご覧になった方もおられるだろう。
先日、袴田さんの獄中書簡集『主よ、いつまでですか』(新教出版社)をいただいた。書名を見て驚いた。「主よ、いつまでですか」。これは聖書の言葉ではないか。イザヤ書6章11節。もしかすると、袴田さんは獄中で洗礼を受けたのではと思い、さっそく読んでみると、果たしてそうであった。1984年12月24日、志村辰弥神父より、カトリックの洗礼を受けられる。
その日の日記に次のように綴られている。「額に十字架の印を刻むように受けた時には、私の全身の周囲が明るくなり和らかな光さえ感じたのであります。洗礼の妙、幸福の永生、始めて燃えあがる真の生命、輝く星花を感激に満ちて凝視したのである。この時こそ正に私にとって新鮮な歴史が開花する瞬間であった。いや、歴史だけではない、キリストの福音にあって勝利と誉れを歌い上げる天上の予感であった。予感だけでもない。精彩を放ってあたかも勝利を組み立てる芸術者たる、神を拝む心地よい感動の極致であった。…アーメン」。
この書簡集を読んで感動した。獄中の祈りともいうべき、彼の叫びと同時に恨みつらみを訴えるというより、明るい澄みきった心境が綴られている。人間にこれほどの強さ、優しさがあるのかと思わされた。本を会堂の後ろに置くので、自由にお読みください。