昨年末、恒例の一年の世相を表す漢字として「安」が選ばれた。だが、なんだか違和感があった。平安の「安」というより、不安の「安」ではないのかという思いがしたからだろう。世界的にも不安が人々の心を支配するようになってきている。紛争、テロ、政治、経済、環境破壊、自然災害などの不安。
これらのことはやがて個人的な不安になって、私たち一人ひとりの生活に大きな影響を与えていく。最近やたらと「安心・安全」という言葉が政治家や企業や個人レベルからも言われるようになった。それは「安心・安全」ではない現実の裏返しでもあるのだろう。
その影響は自分の周り、すなわち自分の隣のことに対してどう応答するかに表れてくる。隣人より自分のことが優先、自分だけ「安心・安全」であればいい。そして隣人不信に陥り、誰も信じられなくなり、そして生まれてくるものは「無関心」。
ノーベル平和賞を受賞した米国のユダヤ人作家エリ・ヴィーゼルが語った言葉(後にマザー・テレサのものとして有名になった)。「今日、我々は知っている。愛の反対は憎しみではない。無関心である。信頼の反対は傲慢ではない。無関心である。文化の反対は無知ではない。無関心である。芸術の反対は醜さではない。無関心である。平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である(後略)」(小貫大輔著『耳をすまして聞いてごらん』より)。
事故があれば自分が被った迷惑を嘆くばかりで、その人の安否を気遣うこともない。ましてや世界のあちこちで紛争や飢餓で多くの子どもたちや住民が死んでいく現実が起こっても、よその国のことなので関心がない。直接自分のせいではないから?自分の力ではどうしようもないから?だから考えないようにする。無関心ほど恐ろしいものはない。
そこから小さな一歩を踏み出そう。まず関心を持つ。想像力を働かせよう。少し目を開き、耳を傾け、その手を開こう。何かできるはず。