植西聰著『ゆるす力』(幻冬舎新書 2012)のあとがきに、「辛(い)」に横棒の「一」を足せば「幸(せ)」になります。今、人生がとても辛い状態だったとしても、何か「一(ひとつ)」加わるだけで、「幸せ」になれるということです、とあった。うまいことを言うものだと感心した。
足す「一(ひとつ)」の内容は人によって違うだろう。状況を変えるために転職や転居するとか、ずっと謝りたかった相手に思い切って謝罪するとかが、その人にとっての「一(ひとつ)」かもしれない。しかし、植西さんは、例外として、誰にとっても幸せにつながる「一(ひとつ)」があるという。それが、「ゆるす」ということだという。
それは確かにそうだ。聖書にも「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」(ルカ6:37)と勧められている。しかし、「ゆるす」ことは大変難しい。そこで「ゆるす力」をつけよう、というわけだ。そのゆるすための方法がこの本にたくさん紹介されている。いくつか紹介しよう。
聖書の教えと同じものもあって興味深い。例えば、「すべてを恵みと考える」、「すべては神さまからのメッセージと考える」、「神さまは乗り越えられない試練はお与えにならないと考える」など。
そのほかどんなものがあるだろうか。「出会う人はみんな『先生』と考える」。これは、作家の吉川英治の『新書太閤記』の中にある「我以外皆我師」という言葉からきているだろう。
また、「『人間万事塞翁が馬」と考える」というのもある。中国の故事で、塞翁の馬が逃げたが、北方の駿馬を率いて戻って来た。喜んでその馬に乗った息子は落馬して骨折したが、ために戦士とならず命長らえたという。人生は吉凶・禍福が予測できないということ。今日のイヤな出来事が転じて、ハッピーを連れてくるかもしれない。
そのほかたくさんの方法が紹介されている。一読するのもいいかも。