「人生は出会い」という。いろいろな人、モノ、出来事と出会いながら、その人の人格が形成され、人生の行路が導かれる。その中で、私たちキリスト者にとって「聖書のことば」(聖句)との出会いは決定的であり、きわめて大切である。日ごとに新しく、み言葉に出会う喜びを体験したいもの。そんな思いに適した本がある。『愛に根ざして生きる――聖句断想2』(小島誠志著 教文館
2004)である。引用して紹介しよう。
倒れても…「主は倒れようとする人をひとりひとり支え/うずくまっている人を起こしてくださいます」(詩編145編14節):倒れてもいいのです。倒れるときは、神の手の中に倒れるのです。歩き疲れたら、神のみ手の中にかがむのです。神は受けとめてくださいます。倒れてもいい。倒れることができる。それが信仰の慰めです。
気を落とさず…「だれも気を落としてはなりません」(サムエル記上17章32節):「気」を「落とす」とはなんという言葉でしょう。「気」は人を生かしている内なる力であります。人生のカベを自力で突破しようとすれば必ず「気を落とす」ことになるでしょう。カベは神が突破してくださいます。人はその後につくのです。信仰は先走ろうとする自分をくりかえし神の後ろにひき据える働きであります。
涙…「神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれる」(ヨハネ黙示録7章17節):だれも、わけがわかって生きているわけではありません。なぜそうなのか、と聞かれても答えることの出来ない矛盾や不条理をかかえて、歯をくいしばっているのです。この現実の中で清算できない苦しみを担って。すべての涙を受け止めてくださる方がいるから生きているのです。その懐に抱かれて存分に泣くことができる、その時があるから。
敗北…「互いに…責めるべきことがあっても、赦し合いなさい」(コロサイ3章13節):「ゆるしてください」と、先に言われた時ほどに恥ずかしいことはありません。その時には深く深く自分が敗北したのです。
御言葉を日々、味わいましょう。